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大河ドラマ真田丸に登場する北条氏について

歴史 真田丸

本日、出張のため、真田丸 13話 「決戦」は見ることができないことがほぼ決定しました・・。

感想がかけないため、登場人物の話を少し書いておきます。

 

2016-03-07 13.47.31 HDR

 

真田家は甲信越と関八州を跨いで領地を持っています。

それに対して、関東は北条氏、甲信は徳川氏、新潟は上杉氏の所領が大部分であり、その狭間に真田家の領地があります。
信州では小県郡を持ち、群馬の沼田地域も所有しています。

ざっと10万石程度はあるのでしょうか。
後に、家康が関東に入府した時に、信繁の兄、信幸は沼田3万石を与えられたというか安堵されました。
従って沼田地域はほぼ3万石の土地だったのでしょう。

それに対して上田城とそのエリアは大凡7万石程度です。

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さて関東は約320万あり、北条氏はおよそ240万石を領有していたと言われています。
現在の都道府県で言えば神奈川・東京・埼玉の全域と、群馬・栃木・千葉の一部です。
広大な領地です。
北条氏の関東でのライバルは茨城の佐竹氏・栃木の宇都宮氏・千葉南部の里見氏です。

北条氏は元は伊勢氏という室町幕府に仕えていた家でした。
伊勢新九郎長氏という人が親族の今川家を頼って静岡に行き、隣の伊豆半島に侵略しその所領を手に入れます。
そこから関東を北上して領土を拡大していきます。

伊勢新九郎長氏とは後の北条早雲と呼ばれる人物です。彼の生前はそんな名前ではなかったと言われています。

そこから北条5代が続きます。
ちなみに鎌倉幕府の執権であった北条家との区別のために、早雲の北条氏は一般に後北条氏と呼ばれています。
北条氏は早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と続いて最後は滅亡します。

北条氏は家祖早雲以来、税金の安い国柄で有名でした。民を重んじるという方針の元、北条家の領内には多くの農民が移り住んだと言われています。

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北条氏のポイントは3代の氏康です。
彼は武田信玄・上杉謙信・今川義元などと同年代であり、その侵略を防ぎ、領土を拡張した時代の雄です。

氏康は顔に何カ所も傷があったそうです。
当時氏康傷と呼ばれていたそうです。
顔に傷があるというのは相手と向かい合っている証拠で逃げている時の傷ではないというのがその評判の理由です。

氏康は関東管領上杉家(謙信の家ではないがのちに謙信がそこに養子に入る)の上杉憲政を河越の野戦で破りました。11,000の兵隊で8万を超す軍勢を打ち破ったと言われています。

この戦いは厳島の戦い・桶狭間の戦いと並んで日本三大夜戦と呼ばれています。

その後、今川・武田・北条の甲相駿三国同盟を作り上げるなど、強かな外交も展開しています。

氏康は武田信玄にも上杉謙信にも本城である小田原城まで攻め込まれています。
しかし、それは戦術的な退却だったと言われています。
天下の名城「小田原城」はびくともしませんでした。

歴史の評価を見ていると、氏康は武田信玄・上杉謙信の陰に隠れがちですが、彼は決して劣らない人物で北条家の基礎をつくりあげました。

次回は氏政について書きます。

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