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10周年に向けての抱負

まちづくり 地域活性局 歴史 経営

今日は1日、仕事をしないと決めました。

奈良盆地をぶらぶらしようと。

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福岡の仕事を引き受けた2013年10月。

私の人生は自分の夢に向かって大きくブレーキがかかりました。

それまで頻繁に交流のあった人と疎遠になったりと。

それから3年経ちました。

この3年、それまでにも増して忙しい日々でした。

休みという言葉がふさわしい日は10日もあったかどうか。

私は人生の醍醐味とは人に出会うことだと思っています。

この3年は出会いよりも別れの方が多かったと思っています。

2007年、会社を創業しました。

それからもう10年目なんですね。

創業時に79歳だった故大辻顧問は昨年夏に逝去されました。

同じく創業時69歳だった川﨑相談役は今年4月に逝去されました。

戦後の奈良を築いてきた顧問と相談役。

奈良県内のどんな企業にも人脈を探して連れて行ってくださった大辻さん。

奈良県内のどんな社寺にも気軽に連れて行ってくださった川﨑先生。

そして創業期を無償の愛で支えてくださった奈良の多くの方。

そのおかげで知り合えた人もまた多かった10年でした。

今日は、そんなことを思い出しながら、奈良盆地を一周しました。

奈良でスタートし、橿原→高田→葛城。

葛城では当麻の家の隣にあった公園の展望場に登ってみました。

橿原アルルに向って、ちょっと気になっていたお店をチェックしました。

その時に、ふと、桜井に行ってみようと考えました。

桜井は林業の根拠地の一つです。

多くの製材所が軒を連ねます。

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私は奈良21世紀フォーラムという団体にお世話になっています。

21世紀フォーラムは、県内の商工会の会頭が役員に名を連ねる組織です。

大辻さんが大和ハウス元社長の石橋殾一さんと作った組織です。

一緒に村おこしをしようよというお誘いをいただいた12年前。

その時から、協力団体として事業の手伝いに参加していました。

また、多くの人を紹介していただきました。

組織の当初の目的はお二人の故郷の吉野川源流の村の支援でした。

そして源流の森を守る環境保全という事業に進みました。

2009年、奈良県暮らしと環境フェスティバルに出店しました。

その際、隣に威勢の良い兄ちゃんたちの団体が出店されていました。

その方々は吉野桜井木材成年クラブという組織でした。

奈良の一次産業といえば吉野杉や吉野檜ですね。

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奈良県の二大林業根拠地の吉野と桜井。

その2カ所の製材所の若い経営者の会でした。

私の会社は吉野杉のお箸を販売しています。

その関係もあって、その時から親しく付き合いをしていただいています。

今日はふと、そのクラブの初代会長の松原さんに会いたいなと思い訪ねました。

松原さんは思慮深いクラブの最年長者の方です。

私は思い返すと、いつも色々と愚痴を言いに行っていた気がします。

今日は久しぶりに近況報告と今後の話を聞いていただきました。

その後、同じクラブの北川さんにもお会いしてきました。

北川さんが気の良い方で、思い出すとふっと笑ってしまうような人です。

お会いすると自分が元気になります。

そして2時間ぐらい話をして帰ってきました。

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私の会社は4年前、会社の創業5周年記念式典を開催しました。

その際に様々な事業構想を発表しました。

ひとつは、奈良で大茶会をしたいという構想でした。

もうひとつは、地域ファンドを作るという構想でした。

地域ファンドを作り、吉野材の町家をならまちに増やしていく。

そして町並みを作り、発展させていきたい。

そんな構想でした。

奈良で大茶会構想は仲川げん奈良市長に託しました。

その結果、珠光茶会という形になることができました。

 

一方で、福岡に行ったことで、地域ファンドは流れてしまいました。

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来年で10周年を迎える地域活性局。

今、10周年記念式典をするか、悩んでいます。

しかし、次の15年、20年に向けて挑戦したいことはあります。

今、もう一度、地域ファンドに挑戦したいと考えています。

また、当時は曖昧だったことがあります。

吉野材の町家を建てて何をするのか。

今は明確にならまちに必要とすることを何点かあげることができます。

その為にぜひ、これを行いたいと思います。

それから、もう少し長期として考えていることがあります。

それは敗戦100年に向けたイベントを毎年夏に開催したいという思いです。

日本が本当に外国人との観光交流を深めるとすれば、それは共通の歴史を語ることだと思います。

昨年、天皇陛下の記者会見でのおことばが心に突き刺さっています。

「この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,先の戦争のことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」。

戦争を知らない私たちの世代としてできることがあると思います。

戦争の実体験がないことで戦争を歴史として俯瞰できるでしょう。

敗戦100年は2045年です。

私は戦争を経験した日本人の話を世界中から訪れる人に紹介したいと思います。

そして、外国の人にも自分の地域と戦争の話を考えてもらいたいと思います。

 

 

歴史を振り返ると、世界の各国の国際交流とは産業革命からこの方、戦争ばかりだったのではないかと思います。

第一次世界大戦、第二次世界大戦。

この二つが、日本のみならず世界の国々をぶつけ合いました。

それは相手を知るということだったのではないかと思います。
戦争は相手の欲を知ることだともいえます。

そして、今、平和なもとで交流が始まっています。

観光は相手の良さをすることだと思います。

日本は日本の良さを見せる。

その良さとは歴史の中で培った現代社会の今の姿だと思います。

その為にも、敗戦というものをもう一度まとめて夏に紹介したいと思います。

今年、ささやかにでもしたかったのですが、来年以降にしっかり行いたいと思います。

私は奈良での観光のこれからを考えた時に、戦争展というのは切り離せないと思います。

奈良は戦争の被害にあってないのではないかという人が日本には多くいます。

 

そんなことはありません。

地域で大事にしてきた伝統行事もその際に亡くなる寸前まで追い込まれています。

出征した多くの方も亡くなられています。

町中には憲兵隊の施設や連隊の施設もありました。

10周年に向けて、今から5年間の構想を練りたいと思います。

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