地域活性局

藤丸正明

珠光茶会で学んだこと

珠光茶会。

自分が考え、下準備した事業としては最も著名な事業だと思います。

しかし、私が個人でやったわけではないんですね。

あくまでも私は実務委員という普通の委員に過ぎませんでした。

それも観光協会理事という肩書です。

地域活性局の代表という肩書ですらありませんでした。

当初、多くの関係者の方に行政の人だと思われていました。

2016-07-21 11.56.49

珠光茶会の事業実施主体は社寺で形成している実行委員会であり、奈良市であり、名目は観光協会です。

そんな形になってでも、こんな大事業を企画できることは非常に光栄でした。

その一方で、失敗という言葉を使っていいのかわかりませんが、課題も多くありました。

まずは多くの参加組織の調整ができなかったこと。

東大寺・薬師寺を始め奈良の大社寺という組織。

茶道三千家を始めとする茶道の流派。

奈良市という行政機関。

私は社寺と流派に顔の利く方ということで有馬猊下に参加をお願いしました。

 

猊下は面識もゆかりもない若者が突然手紙を送って、電話をかけてくることに快く対応していただきました。

私が有馬猊下を引っ張ってきたのは、実家の関係とか知り合いの紹介だと思っている方が多くいらっしゃいます。

 

実際はそんなことはなく、この事業をしたいという思いから直接ぶつかっていった結果です。

初めてお会いした時の緊張は生涯忘れないでしょう。

その後、行政にも自ら提案を持っていきました。

そして始まりました。

珠光茶会。

 

当初の2回はそれなりに緊張感がありました。

お互いを模索して、遠慮しながらやっていました。

3回目には、社寺の一部からは借料の値上げの要望がありました。

市役所は最後まで渋りました。

私は本来の数字に近づくことができるようにしないといけない主張しました。

それを認めないのであれば、辞めるとまで言いました。

私は最後のカードをこうやって切らなければ行政は動きません。

そして、3回目は行政が自分の都合を優先することが非常に多かったです。

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会議の予定は前もって決めない。

会議で決めていないことを平気で進める。

会議で決まっていないことは急に進めていくべきではないですね。

 

何を進めたのかというと、パンフレットです。

今回、私が辞めようと思ったのは、このパンフレットの件です。

これは11月の終わりごろの話です。

行政は各流派の紹介パンフレットを作ろうとしました。

それはそれでいいと思います。

各流派は県支部単位で動いています。

行政は奈良でのお茶会のことを支部に聞きました。

しかし、パンフレットの原稿には、支部で利用している和菓子店がお家元好みと内容が変わっていたそうです。

そして、そのパンフレット原稿はなぜか直接本部に送付します。

県支部としては曖昧な情報を行政に出したとして本部から指導が入ったそうです。

 

茶道とは趣味ではありません。

みなさま、人生をかけて茶道にまい進されています。

お家元といえば自分の培ってきた茶道人生の大事な価値の根幹です。

また、各流派幹部の方は茶道人生ではいわばハイキャリアの時期を迎えています。

そんなときに、自分の失点とは違うことでお家元から怒られる。

最悪ですね。

そして、それを支部から行政に苦情を入れると、なぜか行政は本部に謝りに行きます。

支部には謝りもしません。

 

 

私はその話を聞いて、のけぞるほど驚きました。

行政の責任者を説得して、まず、本部にアポを取って伺いました。

そして、誤解であることを伝えて、頭を床にこすりつけんばかりに謝りました。

そして本部から、支部へ誤解である旨を連絡してもらうべくお願いしました。

そして、本部から1本電話を入れていただきました。

その後、今度はその責任者を連れて支部の方に謝りに行きました。

しかし、会いたくもないといわれました。

そして、市長も連れて行きました。

結果、今回の担当の席はやっていただけることになりました。

私は今回の問題は直接関係はありませんでした。

それでもここまでしなければ存続ができないのです。

 

それは行政の怠慢だと私は結論付けました。

行政はいまだに公式に謝罪をしていません。

私が関係していない問題の解決に私が奔走する。

そしてこの結果、私の企画ができなくなりました。

第3回の目玉企画は初心者体験でした。

初心者体験では全流派が参加くださいました。

できれば、初心者体験で体験者を集めて、

最後に感想会を行う予定でした。

多くの友人にも参加を呼び掛けて参加してもらいました。

 

しかし、それはできなくなりました。

上述の問題で流派間のやり取りができなくなり、開催できなくなりました。

私はこの感想会を行うことで、どのような初心者体験を行っていくことが重要か、流派のみなさまと考えたかった。

各流派にとって、茶道人口の減少は死活問題でもあります。

毎年、珠光茶会で茶道人口が増える。

そんな形を作りたかった。

第3回目でお茶を知った人が20回目でお点前をしている。

そんな風景を作りたかったです。

それもできなくなりました。

 

こんなことがあった中、流派の方からこんな苦情がありました。

軽々しく各流派の本部に出入りしないでほしい。

非常識なことを本部に持ち込まないでほしい。

しかし、珠光茶会最後の日の翌日にはまた行政は三千家に行きます。

しかも、事前訪問連絡なしです。

こんなことはお茶の世界では許されません。

 

そして、今回、なぜか有馬猊下のところにも行ったそうです。

猊下は私の取次が必要です。

それは猊下だけではなく、相国寺の方々にも

強く言われていたことです。

それを平気で壊していきます。

私は報告に行くことができなくなりました。

これに関しては事前にそういった点を行政に伝えていない自分にも問題があったと思いました。

反省しています。

 

こんなことがあったので、反省会をしたいと強く要望しました。

しかし、珠光茶会は第一回目から1度もちゃんとした反省会がない。

 

今年の目的はどうだったのか。

来年はどうするのか。

そのために予算はどうするのか、会費はどうするのか。

そんな話し合いは全くありません。

 

行政は観光事業としてPRできる。

社寺には実際に人が訪れる。

しかし、流派は基本ボランティアなんです。

しかし、同時に流派の発展なしにはお茶会の発展もありません。

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そして、このように問題が続くと自分では担いきれなくなります。

なので、またこれが最後だと思って、過去のことを並べて、条件を行政の責任者に出しました。

返事はすぐに目の前で言われました。

「そんなこといわんとがんばろうや」。

本当に舐められていると思いました。

 

自分が若いからなのか。

 

予算を持っているのが行政だからか。

 

私は少なくとも、自分の力の限りを尽くしてこの事業の発展にまい進してきました。

私の父は、和菓子職人です。

和菓子屋はこんなお茶会を企画するようなことはご法度です。

お客様に使ってもらうだけを考える。

これが唯一和菓子屋が生き残る道です。

息子がこんなことを企画して、何か問題を起こすとどうなるのか。

一介の和菓子屋などすぐに出入り禁止で途端に廃業です。

私の実家の和菓子屋は創業20年の新しい和菓子屋です。

父は末っ子長男で、姉夫婦と折り合いがつかずに辞めざるをえなくなり、新たに事業を始めました。

私が中学1年生のころです。

実家の一部を改装して和菓子屋はスタートしました。

とても大変でした。

生きていく。事業を行っていく。

そんなことの厳しさを嫌なほど知りました。

それから、高校卒業までの6年間。

私は必死に手伝いましたし、父もとても努力をしました。

その結果、多くのお客様が父の和菓子作りを応援してくださって今に至ります。

なので、私は実家の和菓子屋は自分の作ったものでもあるという自負があります。

そんな実家の信用もこの大茶会の前には消えていく可能性だってあります。

毎回、珠光茶会には九州からも大勢の人が来てくださいます。

その多くは父や母が実家のお客様に紹介をしているからです。

それだけ前のめりになって企画して進めてきた事業でした。

 

私は表千家に所属しています。

この大茶会では、各流派の幹部の方々と交流して関係を深めたいと思い、懇親会を企画してスタートさせました。

やはりどれだけ関係者の距離を深めることができるのか。

それが重要だと思いました。

今では三千家・遠州流各奈良県支部の方やお寺の方も参加してくださっている懇親会です。

2か月に1度、行っています。

この懇親会はずっと出席続けようと思います。

お茶会のお誘いをいただけば、絶対に出席し、お手伝いも声がかかれば行きます。

そんなことの積み重ねで作った信頼関係を行政は平気で壊します。

 

いいこともありました。

私が珠光茶会で最も学ぶことができたこと。

それはお茶会のやり方を教えていただけたことです。

ある流派の先生は、ご自分の好きな歴史書をテーマにお茶会を催します。

そのテーマに沿って、自由にお道具を工夫して揃えます。

その歴史書ゆかりの方、研究家の方などにお願いして箱書きをもらいます。

お茶会のお誘いにはその歴史書をテーマにすると書かれています。

もちろん、出席者はそのテーマを少し学んで参加します。

そして出席者はその学んだことが目の前にお茶会として広がっている感動に出会います。

 

私はまだ32歳です。

自分の企画がコントロールできなくなったのは自分の責任だと思います。

目方を誤った、目測を誤った。

そんなことは結局は自分の責任でしょう。

私は行政の担当課・担当部にはもっと懇切に茶道について話す必要があったと思います。

これは片々たる観光政策ではない。

地域全体が茶道というテーマのもとにスキルを上げておもてなしの心と形を作ることが目的でした。

農業・工芸・商業などの課も部署を跨いで行っていくべきでした。

そして何よりも、担当課の人たちが茶道に興味を持つように努力するべきでした。

行政職員の中には頑張っている人もいます。

 

今回、私が非常に迷惑した相手は実は1名だけでした。

ここには書きませんが、非常識・無礼など数知れませんでした。

遠方から打ち合わせに来てもらっているに中座して帰ってこない。

靴下は穴が開いたままお茶席・水屋に入ってくる。

色々ありました。

他の職員の方々はお茶会へまい進してくださっていました。

 

それには非常に感謝もしています。

 

 

学べたことも多くありました。

観光とは、日本の今後になくてはならないものです。

そしてその観光の心臓部分にある「おもてなし」といわれるもの。

それは茶道の中に存在する。

それを確信できました。

 

 

また、できなかった多くのことがあります。

茶道は総合芸術とも言います。

農業から工芸・建築から着物まで。

お茶会を毎年行う中で、関連するいわば産業に刺激を与えつつ、

行政が予算つけをすることで地域のレベルは確実に上がるはずです。

茶道は古いとか、保守的だとか言う人は非常に多いです。

しかし、茶道の世界には今の社会を担っている価値観の根幹が備わっています。

お茶をたしなんでいる人の多くは、物の価値というのを日々学んでいます。

その物事の価値を地域の多くの人が共有して、そのうえでどのように一体となっておもてなしをするのか。

 

観光は本来は地域の事情にあった客層を集めないと成り立ちません。

不特定多数の観光客を集めることは地域に様々な手間を作り結局統一感のない世界しか作りません。

 

ダメになっていく観光地の多くは間口を広げていきすぎるんですね。

昔と変わったとか、いろいろと言われて結局は人が来なくなります。

前回のイメージと違っているとそれを楽しみに来ている人にははがっかりですね。

逆に自分の間口にあった観光客を集めていく。

その単純作業ができるようになれば観光地は栄えます。

 

 

私はもう一度、1から考え直していこうと思います。

 

 

私は自分の人生の目的が何個かあります。

65歳までは仕事を頑張ります。

65歳で最も輝けるようになりたいと思っています。

自分の会社でお茶会のすべてを賄えるようになろうと思います。

生産から消費まで。

それを一つの地域で作り上げたいと思います。

そして1つの地域でおもてなしができるようになる。

65歳になれば、今度はそれまでお世話になった人を招待して

お茶事でおもてなしをしたいと思います。

なので、私はお茶をして人生を過ごしたいと思っています。

それだけ、お茶の世界は私には偉大です。

 

最後まで読んでくださったみなさん、

一緒にお茶をやってみませんか。

私は奈良では多くの先生を知っています。

先生との出会いが茶道を長く続ける秘訣です。

一歩踏み出そうと思う方、そんな方に合った先生を

紹介します。

珠光茶会で学んだことは自分の将来に生かしていこうと思います。

藤丸正明

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