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太平洋戦争の記憶。奈良の護国神社を訪ねました

太平洋戦争の記憶 歴史

太平洋戦争の記憶。

今日は奈良の護国神社を訪ねました。

私は今、奈良市という地域に住んでいます。

日本の国家の礎を築いた奈良。

私はよく思うことがあります。

日本はどんなに発展しても、奈良を抜きにして語ることのできない。

794年に都は京都に移ってしまいます。

710年に平城京が造営されて84年。

奈良に都があったのは84年だけです。

しかし、そうではないと思います。

それまでの894年より前の歴史のほとんどが奈良にあったと言えるでしょう。

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そんな奈良にも太平洋戦争の歴史があります。

太平洋戦争は1941年12月8日から1945年8月15日までです。

しかし、陸軍は1937年7月7日より中国と戦争をしていました。

なので、実際は8年にも及ぶ歳月が日本の戦時だったといえるかもしれません。

太平洋戦争の記憶。奈良の護国神社を訪ねました。

 

奈良市には陸軍の連隊基地がありました。

場所は現在の奈良教育大学の場所です。

戦争が始まればすぐに戦地に向かう。

そのために現奈良教育大前の道はそのままJR奈良駅(旧国鉄)まで一直線です。

そこから、奈良の多くの人が戦地に向かい、そして、多くの方が亡くなっています。

亡くなられた方は護国神社で祀られています。

護国神社とは国家の戦争等で国に殉じた人をお祀りしています。

東京には靖国神社があり、東京都を除く全国に護国神社があります。

今回は奈良の護国神社を訪ねました。

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護国神社は奈良教育大学から南へ車で3分ほどの場所にあります。

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手書きで案内板が設置されています。

奈良県出身者で国難に殉じた人を祀っています。

維新戦争・西南の役  119柱
日清日露戦争     903柱
世界大戦・満州事変  119柱
大東亜戦争    28,068柱

多くの方がお祀りされています。

他にも国学者北浦定政や古市澄胤の紹介も書いてありました。

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本殿ですね。

ここから出陣した人たちの写真が看板で紹介されていました。

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当時の日本の姿が浮かびます。

ビルマの塔という忠魂塔がありました。

奈良はビルマ戦線でインパール作戦で亡くなった方が多かったです。

死の行軍と言われています。

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外には堀のような池があります。

池には雲が映っています。

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私の会社の相談役の叔父はインパールで亡くなったそうです。

遺骨が本物かもわからなかったという話が残ってるようです。

1868年の明治維新以降、150年が経とうとしています。

明治以降の日本社会は目覚ましい発展がありました。

その一方で、その秩序を維持するために奈良県だけで3万人が兵隊として亡くなっています。

地域と戦争の歴史。

 

そのころ日本はどうだったのか。

奈良はどうだったのか。

それを知りたいと思います。

太平洋戦争の記憶。奈良の護国神社を訪ねました。

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