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ならまちの観光案内所奈良町情報館は10年目の運営に入ります

ならまち 地域活性局 学生起業 観光企画

奈良町情報館。

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ならまちの観光案内所として2007年10月5日に開館しました。

私は当時、大学4年生でした。

大学1年生の頃から地域活性局というグループを結成し活動していました。

この建物は春日庵の野崎さんの所有の建物です。

私は大学3年生の6月からこの建物をお借りして朝市を行っていました。

朝市を行うと、備品が必要なので、それを置かせてもらいます。

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その朝市も昼ぐらいになると、観光客の人から道ばかり聞かれるようになりました。

そこで、思い切って観光案内所をやってみようかと思いました。

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そこで大学4年生の6月から具体的に準備をはじめました。

開始するにあたって、一番緊張したこと。

それはこの企画を大家さんの野崎さんにお話しする時でした。

実は、この建物は、電気代だけしか負担していませんでした。

当時、既に起業はしていましたが、資金力があるわけではありませんでした。

私は今も返済していますが、奨学金を借りながら学生していました。

なので、家賃を払うほどの力まではありませんでした。

しかし、相談に行ったところ、自由に使っていいよと言っていただけました。

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そして、8月に友人達が就活をやっている間に、私は必死で看板を作りました。

看板を作るにあたっては、今は亡き、会社相談役の川﨑鳳嶽先生にお世話になりました。

奈良で仕事をするにあたっては、東大寺の方の揮毫を看板にしたい。

そういう思いがありました。

そこで、川﨑先生に相談したところ、すぐ次の日に東大寺に連れて行ってくださいました。

東大寺では故筒井寛秀長老が揮毫を快諾してくださいました。

長老は、入退院を繰り返されていたそうです。

なので、縦書きは厳しいといわれていました。

しかし、趣旨に賛同してくださいました。

長老の奥様は後にご挨拶にお伺いした際に、長老の最後の揮毫でしたと教えてくださいました。

ところで、10月5日。

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なぜ、10月1日に始めなかったのか。

よく聞かれます。記念日にしてはちょっと中途半端なのではないか。

その理由があります。

大学2年生の秋に知遇を得ていた方がいます。

大辻康夫さん。

東映の常務から大坂で広告会社を50歳で立ち上げ、その会社は年商100億円までなっています。

その方が、当時、私が事業のもう一つの拠点としていた吉野川上村高原地区の出身でした。

その御縁で、その後、会社の顧問になっていただいていました。

大辻康夫さんの誕生日は10月5日でした。

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地域活性局のメンバーは当時、11人いました。

そのうち8名ぐらいで、10月5日から2月末まで運営しました。

その後は、アルバイトを1名雇って、同じ大学のメンバーと3名で運営しました。

奈良町情報館は本当に多くの方の知己のお陰で成り立っています。

また、68万人を超える多くの方に来館いただいています。

民間の案内所です。私設であり補助金などはありません。

それでも10年も続けてくることができたのは、ならまちの多くのみなさんのお陰です。

商店のみなさまには広告を出していただいていますし、地域の方は野菜などを買いに来てくださいます。

多くの方のお陰で奈良町情報館は成り立っています。

2016年10月5日から10年目が始まります。

奈良町情報館を支えてくださったみなさまに感謝いたします。

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鎌倉建長寺吉田昌道老師からいただいた「夢」の色紙です。

これからも夢を追いかけたいと思います。

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