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榊原康政の逸話や家系や子孫についての逸話

歴史

おんな城主直虎では徳川家康の最も良き相談相手となっている榊原康政。

徳川四天王にも数えられる武将です。

榊原康政とはどんな人物だったのでしょうか。

榊原康政の逸話や家系・子孫についての逸話を紹介します。

 

榊原康政の家系・・・榊原康政は榊原家の次男

榊原氏は三重県の榊原温泉界隈に居住した際に榊原を名乗ります。

そこからいくつかの傍流に分かれます。

榊原康政は1548年、三河国で榊原家の次男として生まれます。

幼少期から勉学を好み、字も上手だったそうです。

榊原康政の後の人生や逸話からも彼が秀才タイプだったことがわかります。

また、兄の榊原清政が病弱だったこともあり、榊原家の家督は康政が継ぎます。

一般に次男というのは長男に比べ責任感が低く、行動力に富みます。

そして榊原康政は字がうまいことから人に習い上達するタイプだったでしょう。

 

榊原康政の家紋は榊原源氏車

榊原氏の家紋は榊原源氏車を使用しています。

車とは当時、貴族などが乗っていた牛車のタイヤの部分ですね。

榊原氏の家紋は姫路城の瓦などでも出土しています。

榊原康政はこの家紋の入った旗をなびかせて戦場に臨んだでしょう。

 

榊原康政の逸話・・姉川の戦いで劣勢をひっくり返した逸話

榊原康政は徳川家康に従い、姉川の戦いに臨みます。

姉川の戦いは織田・徳川VS浅井・朝倉の戦いです。

織田信長はこの戦いにおいて、徳川には朝倉をぶつけます。

兵力6000に満たない徳川は1万を超す朝倉と死闘に及びます。

織田も徳川も敵に押しに押されますが、相手は戦線が縦の伸び切ります。

その伸びを榊原康政は見逃さず、大きく迂回して敵の横に突っ込みました。

これを契機に、徳川も織田も総攻撃を行い、兵力に勝る織田徳川が勝利します。

榊原康政は姉川の戦いをひっくり返した逸話を持ちます。

 

榊原康政の逸話・・・豊臣秀吉に書いた酷い高札の逸話

榊原康政は徳川家康を良く支え、天下統一へ進む豊臣秀吉と激突します。

小牧長久手の戦い。

ここでは、膠着状態の中、秀吉が変な挑戦状を家康に送りつけます。

家康は大して反応をせずに、その返事を榊原康政に書くように指示します。

そこで榊原康政は「秀吉は野人の子」と書いて挑発します。

これを秀吉は後々までもかなり根に持っていたそうです。

やがて徳川家康が秀吉に臣従することになり上洛します。

秀吉は特に榊原康政を随行させるように指示します。

そして、あの時の手紙を詰った上で、一緒にお酒を飲んで騒いだそうです。

 

榊原康政の逸話・・・宇喜多家の内紛を収めようとして失敗する

朝鮮出兵からの撤兵後、財政難の宇喜多家では内紛が起こります。

その内紛の解決のために、大谷吉継は徳川家臣の榊原康政に依頼します。

徳川家の中でも榊原康政は誠実な人として当時は映っていたのでしょう。

大谷吉継は徳川家の重臣に参加させることで、家康の横やりを外そうとしたそうです。

しかし、将来、必ず敵になる宇喜多家を内紛させたい家康。

家康は大坂駐在任期を終えても江戸に戻らない榊原康政は宇喜多から謝礼が欲しいんだろうと言います。

それで榊原康政は激怒し、江戸に帰ったそうです。

家康とは結構罪深い人間ですね・・・。

これにて宇喜多家は内紛からお家騒動に発展しました。

 

榊原康政の逸話・・・関ケ原の戦い以後は表舞台から去る

榊原康政は関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に随行し真田にいっぱい食わされます。

その後、家康への秀忠の弁明のために榊原康政は動き、秀忠は許されます。

しかし、この時、榊原康政は家康側近と秀忠側近の距離感を感じたでしょう。

これ以後、政治の表舞台に出ることを控えます。

一つは、本多忠勝や井伊直政や榊原康政などの戦に長けた武将の役割が終えたことを実感したのでしょう。

また、秀忠の側近などは文官が多く、新しい世代を感じたのではないでしょうか。

榊原康政は家康と徳川信康の件もかなり心に残っていたのでしょう。

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井伊直政と榊原康政の関係

徳川家康の小姓から出世した榊原康政は井伊直政の先輩です。

しかし、榊原家と井伊家ではやはり井伊家の方が大きな家です。

この時代、出身の家が大きい方が戦力もあり、有利ですね。

また、井伊直政の奉公振りには榊原康政もほとほと関心したそうです。

後に榊原康政と井伊直政は心友という間柄に発展します。

戦地に赴く徳川家康の近くにどちらかが居ればどちらかは安心したそうです。

しかし、急激な出世で嫉妬も多かった井伊直政を年配の榊原康政はフォローしたでしょう。

 

榊原康政と本多忠勝の関係

榊原康政は本多忠勝とは同世代でもあります。

しかし、本多忠勝の天才的な用兵戦術には榊原康政は及ばなかったようです。

一方で、榊原康政は軍事だけでなく文官としても才能を発揮しています。

徳川氏は家臣の層が暑いですね。

榊原康政・本多忠勝・井伊直政は徳川家切っての指揮官たちです。

それがみんな仲が良かったというのがほほえましいですね。

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榊原康政の子孫

表舞台から去った榊原康政の子孫のその後を紹介します。

榊原康政の子は長男忠政と次男の康勝です。

忠政は康政の妻の実家大須賀家へ養子に行きます。

しかし、榊原康勝は26歳で跡継ぎがいないまま亡くなります。

そこで幕府は特別に大須賀忠政の子供忠次に跡を継がせました。

榊原康政の子孫はその後、上野館林から姫路15万石に栄転します。

その後、越後高田15万石となり、幕末を迎えます。

榊原康政の子孫は何度かお家断絶の危機に直面します。

しかし、榊原康政と家康の関係のお陰で子孫は断絶せずに続きました。

 

いかがでしたでしょうか。

他にも様々な逸話が榊原康政には残っています。

しかし、やはりバランス力に富んだ人物ですね。

榊原康政の逸話や家系・子孫についての逸話を紹介しました。

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