興福寺中金堂落慶慶讃茶会備忘録・お茶会の概要・

ならまち 茶道
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明治維新による廃仏毀釈から150年。
南都興福寺は寺院の中心施設中金堂の再建を成し遂げます。
それを祝う落慶慶讃茶会。
明治の危機を救った二人の人物が時を超えて興福寺に揃います。

興福寺中金堂落慶計算茶会の概要

10月1日の藤田美術館の美術品の搬入

落慶慶讃茶会の全体の企画・構成は千宗屋さんが立てられました。
比叡山延暦寺の法要だけでなく、もう一つ壮大な企画が進行しました。

それが藤田美術館による濃茶席でした。
藤田美術館は明治期大坂を代表する事業家藤田伝三郎の美術品を収蔵します。
藤田伝三郎は長州奇兵隊出身。
その後、大阪で事業を営みます。
藤田伝三郎は廃仏毀釈で急激に衰退する南都の寺院の美術品を買い取ります。

今回はその子孫で藤田美術館の館長藤田清さんが濃茶席を担当くださることになりました。
興福寺縁のお道具が並ぶお茶会となりました。

興福寺の廃仏毀釈を救った益田鈍翁氏の掛軸

 

もう一つ。

明治期日本の茶の湯文化の中心人物に益田鈍翁という人がいました。
大久保利通による巨額の出資を得て、三井物産を創業させた人物です。

益田鈍翁氏は廃仏毀釈の危機を迎えた興福寺に救いの手を差し伸べたといわれています。

そんな益田鈍翁氏の掛軸を戸田商店さんが取り扱われたことがありました。
そこで現在の持ち主に相談してお貸しいただくことになりました。

益田鈍翁氏が87歳の誕生日に書いたと言われている「目出度」。
1935年(83年前)に書かれた書が拝服席の掛軸となりました。

 

私はこの掛軸を拝見した時に、このお茶会に関わることができて幸せだなぁと感じました。
歴史的瞬間に立ち会ったことを実感しました。

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興福寺中金堂落慶慶讃茶会の内容

期間:10月7日~11日
席数:各日120名

場所:献茶式 興福寺中金堂
   濃茶席    本坊  藤田美術館
   拝服席 興福寺会館  慶讃茶会有志の会
   点心席 興福寺会館

当日のお茶会関係者数は約40人。
献茶4名 濃茶席15名 拝服席15名  事務局5名 

人数に各日若干の増減はありました。

お弁当は、ならまちの「うとうと」さんにお願いしました。
「うとうと」さんは10月9日には法要に出席でしたので、「平宗」さんにお願いしました。

つづいて、慶讃茶会前日の準備の話に向かいます。

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