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阪堺電車と住吉大社の魅力

阪堺電車と住吉大社の魅力
牛に惹かれて善光寺参り。 関東ではよく聞く言葉です。 昨日はまさにそのような感じで路面電車に揺られて住吉参りでした。 阪堺線の紹介を忘れていたので、軽く紹介します。 阪堺線とは大阪と堺を結ぶ路面電車になります。 途中には多くの歴史スポットが存在します。 阪堺線(恵比須町から我孫子道)では秀吉縁の天下茶屋や天神ノ森があり...
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阪堺電車に乗って住吉大社に観光に行きました。

阪堺電車に乗って住吉大社に観光に行きました。
大阪から住吉大社への観光は路面電車の阪堺電車があります。 阪堺電車は大阪天王寺と堺を結ぶ路面電車です。 阪堺電車に乗って大阪天王寺から住吉大社へ観光に行きました。 阪堺電車は懐かしい雰囲気の路面電車 いわゆる路面電車ですね。 私の父の世代では阪堺電車のような路面電車の思い出を話す人が多いと思います。 私はあまりなじみが...
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鹿の舟の囀に朝食を食べに行きました。

鹿の舟の囀に朝食を食べに行きました。
ならまちで最も注目度の高いお店の一つ、奈良町南観光案内所の鹿の舟。 鹿の舟は奈良で創業31周年を迎えたカフェ「くるみの木」が運営しています。 くるみの木は本店は一条にあります。ならまちからは車で10分ぐらいの場所にあります。 鹿の舟はもともとならまち振興館という施設だった 奈良町南観光案内所は元々、ならまち振興館という...
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真田幸村と真田信繁の名前の由来

真田幸村と真田信繁の名前の由来
真田幸村。 大河ドラマ真田丸も大好評でした。 真田幸村と真田信繁の名前の由来と違いは何でしょうか。 じつはこの由来には父昌幸の思いがこもっていました。 真田幸村と真田信繁の名前の由来を紹介します。 正式には真田幸村と真田信繁のどっち!? 大河ドラマ真田丸の中では「源二郎」でした。 一方で、有名な名前は真田幸村ですね。 ...
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大谷吉継の逸話・病気と首や子孫と名言

大谷吉継の逸話・病気と首や子孫と名言
豊臣政権下で敦賀5万石を領した大谷吉継。 病気が原因で人生を急いだ感がある悲劇の武将です。 大谷吉継の逸話や名言・病気や首や子孫について紹介します。   大谷吉継と子孫は真田幸村を通じて繁栄した 真田昌幸は豊臣と徳川両者と関係強化を行います。 長男信幸には徳川家重臣の本多忠勝の娘を迎えます。 幸村の妻は豊臣秀...
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真田丸14話大坂の感想の感想を書きました

真田丸14話大坂の感想の感想を書きました
上杉景勝と信繁は連れだって大坂に行きます。 ただし、実際は信繁は昌幸の意向で単独で大坂に行き、景勝の怒りをかったそうです。 今回は上杉景勝という人物を徹底的に実話と変えることで真田丸の進行をわかりやすくしています。 重臣石川数正の出奔は徳川家に衝撃を与えました。石川数正は歴戦の勇士であり、そしてこの当時、徳川家の事実上...
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大河ドラマ真田丸 六文銭と赤備えの話

大河ドラマ真田丸 六文銭と赤備えの話
真田家の家紋と言えば、六文銭です。 六文銭とは当時、地獄に行った時に支払うべきお金だといわれていました。 三途の川を渡る時に支払うお金が六銭だったらしいですね。 ここに真田家の心意気が見えます。 武田信玄と上杉謙信の意匠 家紋や旗というのは当時はとても重要な意味合いがありました。 例えば、武田信玄の旗は有名な「風林火山...
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相談役の川﨑鳳嶽先生が逝去されました

相談役の川﨑鳳嶽先生が逝去されました
株式会社地域活性局は多くの顧問・相談役に支えられて事業を行っています。 その中でも設立当初から主に奈良の社寺関係とのパイプ役を担ってくださっていた川崎鳳嶽先生が逝去されました。 享年79歳でした。肺ガンでした。 先生は大和郡山市生まれ。川﨑家は江戸期は法華寺の棟梁大工の家だったそうです。 家の建具作りの仕事を手伝う傍ら...
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松本城の築城者石川数正は松本城築城に全霊をかけた

松本城の築城者石川数正は松本城築城に全霊をかけた
徳川家の重臣に石川数正という人物がいます。 彼は波乱万丈の人生の中で一つのお城を残しました。 信州松本城の築城者はこの石川数正です。 松本城の歴史を作った築城者石川数正について紹介します。 石川数正の履歴 彼は1533年生まれのため、1543年生まれの家康よりも10歳年上です。 上田合戦は1583年なので、家康40歳、...
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真田丸13話決戦の感想3 局地戦に快勝した真田昌幸

真田丸13話決戦の感想3 局地戦に快勝した真田昌幸
真田の上田城に迫る徳川勢。 逸っている兵隊に合わせるように真田はこまめに戦って退却していきます。 徳川勢の前線の侍たちは逃げる兵隊を見て勢いを増します。 相手が弱いと錯覚するんですね。 これも昌幸の作戦です。 そして上田城二の丸まで攻め込みます。 ここで真田の約1500名が出迎えるんですね。 徳川勢の先頭は300もいな...
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