筑前町を走っていると田畑の中に一つの鎮守の森を発見しました。
一度通り過ぎたのですが、妙に気になって立ち寄りました。
その社こそ福岡のミステリースポット玉虫大明神。
今回の話は伝承の域を超えない話を結びつけて楽しんでいます。
福岡のミステリースポット玉虫大明神は摩訶不思議でした。
一見普通に見えるが何かミステリアスな玉虫大明神
福岡県筑前町に玉虫宮という神社があります。
地域の氏神神社として崇められているような雰囲気でした。
広大な田園地帯の集落の西側に鎮座する神社です。
画像の右側の小さな森です。
筑前町曾根田字玉虫1750番地にあります。
玉垂宮ではない玉虫大明神
神社名の玉虫大明神。
古代史や神社に詳しい人であれば、あれ?玉垂宮ではないのか?とふと思うと思います。
私も玉垂宮かと思って足を運んでみました。
実際には玉虫大明神という神社でした。
福岡のミステリースポット玉虫大明神のご由緒
玉虫大明神の入口には筑前町教育委員会の案内板がありました。
民間伝承によれば、神社のご神体は男女二体で、那須与一と玉虫午前の夫婦を祀るそうです。
玉虫御前という人物についてはここで初めて知りました。
源平合戦の折、屋島の戦いにて源氏の武者に扇を射てみよと誘った女性だったそうです。
伝承ではその後宮崎県椎葉村まで落ち延び、そこまで追ってきた那須野大八と結婚したそうです。
ご由緒のミステリー・・・宮崎の人がなぜ祀られているのか
さて、なぜ筑前町に祀られてあるのか。
それが説得力のある材料がないようですね。
でもお祀りされています。
看板には江戸期の国学者貝原益軒はこの伝承に疑問を持ったそうです。
やはり、ここは福岡を代表するミステリースポットでしょう・・・
ミステリーを勝手に推測
私は、これは実は玉垂宮なのではないかと思いました。
玉垂宮とは伝承の一つでは武内宿禰を祀る神社と言われています。
武内宿禰とは神功皇后に従って三韓征伐に赴いた伝説の武将です。
福岡にはこの武内宿禰を祀る神社が多く、久留米市の高良山や大善寺の玉垂宮はそうですね。さらに神功皇后をお祀りしている神社には大抵、その近くに武内宿禰の神社があります。
そして、この筑前町界隈は神功皇后の縁の場所は多くあります。
私はこのキーワード筑前町と神功皇后のラインから、元はこの神社は玉垂宮で、途中から少しずつ話が変わっていったのではないかと思いました。
伝承では玉垂宮と神功皇后の間には5人の子供がいたという説もあります。
玉虫大明神は男女二体の御神体ということなので、それにも近いのかなと。
そして、その縁の場所に源氏と平氏の伝説も加わったのではないかと思います。
ミステリーは口伝の連続から生まれる人為的なミスが多い
地域の歴史とは人から人へ口伝として残る部分が多いです。
そして神社という神聖な場所の記録は限られた人だけで守ってきた経緯があります。
口から口に伝わるうちに由緒が変わってしまうことも珍しくありません。
それも少しずつ解明されていくといいなと思います。
以上、今日の話は余談です。
書くかためらったのですが、境内の空気がとても良かったので書きました。
いちど足を運んでみてください。
福岡のミステリースポット玉虫大明神を紹介しました。