地域には人間の思考の基本となる地形が存在します。
地域の人がどのように自然と向き合って来たのかわかるのもまた地形だったりします。
山や川。今回は大阪城と四天王寺の話を少し書きます。
大坂の地形を代表するものとして、上町台が存在します。
現在の位置から説明すると、大阪城のある場所から四天王寺のある場所までは実は台地になっています。
そこから緩やかに下り坂になっています。南北12キロの台地となっています。
上町台地に最初に目を付けたのは聖徳太子でしょう。
大阪平野のど真ん中にある台地で、北には当時大和川が流れていました。
聖徳太子は四天王寺を築くことで大和政権の流通の軸を握ろうとしたと言われています。
次に出てくるのは本願寺です。今の大阪城の場所にかつて大阪石山本願寺がありました。
石山本願寺は織田信長との抗争を11年間戦い抜きました。
その後、その地に豊臣秀吉がお城を作りました。
実に当時の世界でもっとも大きな建築ではないかと南蛮の宣教師は言っていたそうです。
四天王寺の少し南に行った場所にJR天王寺駅があります。
これは実は大阪城の外堀だったと言われています。内堀は空堀商店街の位置だったそうです。
また上町台地の西側にはお寺を南北に並べることで緩やかな坂に防御拠点となる建物を並べたそうです。
秀吉は同時に船場の町を作り上げました。
秀吉の死後、道頓堀が掘削され、大和川が堺の方に流れるようになり、町は繁栄します。
船場の町はやがて南北に大きくなっていきました。
今、梅田をキタ・難波をミナミと呼ぶのは、船場の町から見た位置だと言われています。
秀吉が町を作るまで、上町台地の西側、つまり今の市街地部分は、湿原地帯だったそうです。
今日、なぜこんなに長々と書いたかというと、その上町台地はあべのハルカスから見るとよくわかるからです。
12階のダイニングフロアから北の方を眺めてみると、大阪城の天守閣が見えました。手前には四天王寺も見えました。
地震という災害を考えた時、上町台は地盤が強いと言われています。あべのハルカスはそういった点にも配慮しているのでしょう。
民俗学者の宮本常一さんはその父から知らない土地に行った時は一番高い所に登って地形などを見なさいと言っていたそうです。大坂ではまずはあべのハルカスの展望場でしょう。
まだ上ったことはありませんが・・・。
私は大阪に2年程住んでいました。大国町に1年、北堀江に1年。
いつかあべのハルカスの展望場から大坂の歴史を紹介するようなツアーガイドをしたいなあと思います。
無論、大阪の陣などの話ばかりになると思いますが。
地形を見るのは面白いですね。地形を見ることができる場所に行くことで地域は見えてくるものがあるでしょう。