株式会社地域活性局は多くの顧問・相談役に支えられて事業を行っています。
その中でも設立当初から主に奈良の社寺関係とのパイプ役を担ってくださっていた川崎鳳嶽先生が逝去されました。
享年79歳でした。肺ガンでした。
先生は大和郡山市生まれ。川﨑家は江戸期は法華寺の棟梁大工の家だったそうです。
家の建具作りの仕事を手伝う傍ら、奈良の伝統的建造物や伝統工芸品に魅せられ模型を作ります。
薬師寺の東塔の模型を作った先生の腕に薬師寺の橋本凝胤師が驚かれ、薬師寺とのお付き合いが始まったそうです。
やがて、奈良の社寺の方に可愛がられ、普段立ち入ることができない場所などにも入れてもらい、特別な工芸品を手に取って眺めることができたそうです。
そのヒントを集めた上で、お茶道具を作り始めます。
先生のお茶道具はほとんど木か竹を用いています。
そして、29歳で東京の日本橋三越で第一回の個展を開催されます。
先生はその後3年に1度、日本橋三越で必ず個展を開催されていました。
来年はその年でした。
先生の個展は奈良の社寺の方が一丸となって応援されたようです。
これは1975年の個展の際の賛助出品です。
法隆寺管長 間中定泉
薬師寺長老高田好胤・橋本凝胤
東大寺管長 清水公照 長老 上野澄園
西大寺管長 松本実道
慈光院住職 尾関南山
宗徧流家元 山田宗囲
有楽流家元 織田長繁
東大寺206世管長 故上司海雲
会場挿花 御門流家元 水谷川橘苑
古流芳秀会家元 青木芳秀
先生の個展の推薦文の画像を見つけました。
細川護貞さんは細川護熙元総理大臣のお父様です。
他にもSHARP創業者の早川さんやPIONNEER創業者の松本さんを始め各界の方が先生を応援しました。
先生は宮大工・建具師の家の技術をお茶道具に転化するだけでなく、奈良の社寺の古材を使ったり、、正倉院御物の写しを作るなど、
今はもう奈良の伝統工芸では当たり前になっていることを始めて試みたといわれています。
奈良は人が足を引っ張るとか、批判ばかりしている人が多いとか、仕事がしにくいとかいう人がいます。
しかし、奈良は偉大な伝統的建造物や伝統文化を守っている以上、それを守ることが第一条件です。
その上で、そのいわば遺産であり資産を守り発展させていくためのことであれば、一丸となって応援するのではないかと思います。
それが珠光茶会でもいわば現れたのではないでしょうか。
50年前、奈良の発展を願い、東京に上京した川﨑鳳嶽先生。
私は先生が69歳の時にお会いして、ほぼ10年、お世話になりました。
工藝家は晩年がもっとも光るといわれています。
そういう意味で先生が最も輝いていた時期にお世話になったと思います。
先生との思い出はまた改めて記します。