豊臣秀吉が1589年に天下を統一して6年経った1595年。
豊臣家だけにとどまらず、日本全体に暗雲が立ち込めます。
真田丸28話受難のあらすじとみどころを考えてみます。
真田丸28話受難では秀次の切腹までの道のりが紹介されています。
秀次は結局は切腹します。
秀吉から見ると、秀次は自分の実子の最大の邪魔に見えたのでしょう。
そんな秀吉は口実を設けては秀次を排斥しようとしていきます。
秀次は秀吉の操り人形のような人生でした。
自分という意思というより秀吉の意思の代行者でした。
しかし、どの時代も秀吉と秀次のような関係は存在するでしょう。
秀次は京都で辻斬りをしていたという話が残っています。
両親というか保護者から愛されなかった子供が時に持つ残虐性でしょうか。
官位を貰って一人前の名乗りになった信繁。
そこに豊臣政権の要の一人である大谷家からの縁組です。
兄の信幸は徳川家康の養女(実質は本多忠勝の娘)を貰っています。
真田昌幸はこれをどう思ったのでしょうか。
希代の策士である昌幸は自分から仕掛けて行ったのでしょう。
本筋では、秀次は伏見城に呼ばれます。
しかし秀吉に出会うことができずに、謹慎を申し受けます。
その後、高野山に流されることになります。
秀次は結局、最後は高野山で亡くなります。
秀吉の操り人形に終始した秀次の最後はあまりにも可哀そうです。
そして秀次の側室だった女性たちにも終焉が訪れます。
今でも京都の先斗町を歩き、三条大橋のたもとに行くとその碑が残っています。
三条河原で、秀次の娘や側室はほとんどが殺されます。
ここで豊臣政権の次なる覇者になるだろう秀次に忠誠を誓っていた大名たちも痛い目に遭います。
秀吉はどうしたのでしょうか。
秀次を殺す事で、豊臣政権には血縁者の成人者はいなくなりました。
秀次の性格からすると存命しても、秀吉亡き後、気ままにはしなかったのではないかと思います。
真田丸28話受難は泣くことばかりになりそうですね。
そんな悲劇的なところがみどころなのでしょう。
真田丸28話受難のあらすじとみどころを考えてみました。