今日はひどい夕立に遭いました。
奈良は久しぶりの雨でした。
さて、真田丸32話応酬の感想を書きます。
真田昌幸は野望を持っていました。
武田信玄時代の領地を取り戻すこと。
本当かな?と正直疑問に思いました。
秀吉の終焉。
秀吉に対する寧々(北政所)と茶々(淀君)の態度が違います。
長年連れ添った寧々。
晩年だけの付き合いの茶々。
秀吉は死にました。
それは重大な問題をはらんでいます。
豊臣家は朝鮮出兵を行っており、15万人以上の兵隊が朝鮮にいます。
そして朝鮮出兵は秀吉と、事務運営する石田三成の方針が違いました。
秀吉は明確なビジョンがありませんでした。
それを三成が止めようとして齟齬が起きます。
その齟齬は多くの朝鮮出兵の武将に誤解を生みます。
その誤解を家康は巧妙に派閥争いに発展させます。
その結果、豊臣政権は武断派と文治派に分かれてしまいます。
武断派は加藤清正・福島正則など。文治派は石田三成・増田長盛・長束正家など。
真田丸32話応酬ではこの2派に分かれていく経過がいくつかのシーンに隠されていました。
家康は武断派の上に乗ります。
文治派は三成側に外様の大大名が加担していきます。
毛利・宇喜多・長曾我部・上杉・佐竹等です。
しかし、ここで重要なのは家康のキャリアに勝る者がいないんですね。
もう、家康がNo1なのはほぼ全員が認識しています。
そして家康の所領は約250万石。
豊臣家よりも所領は大きかったそうです。
全国の領地を合わせると約1800万石。
豊臣家の蔵入地200万石を筆頭に大小の大名が所有しており、豊臣家の管理下です。
家康の戦略はそれを真っ二つに分けてしまう。
そしてその片方に乗っかってしまう。
そうすると、1800万石に対して250万石で戦うのではなく、
単純計算で250万石+片方の勢力でもう一方の勢力と戦います。
さて、石田三成と武断派の溝は広がっていきます。
加藤清正や福島正則はいわば秀吉の身内の代表として三成とやりあいます。
真田丸32話の題は応酬です。
当初はそれを調整する勢力がいました。
それが加賀金沢の前田利家でした。
利家は娘が宇喜多秀家と細川忠興に嫁いでいます。
彼は正直者であることを秀吉に買われ、秀頼の世話役を頼まれます。
家康は秀吉の死後、三成派の大名を取りつぶしたり、味方の大名と縁組をします。
利家の存命期には一度、諸大名が合致して家康を追い込みました。
しかし、家康の巧みな動きによってそれを封じられます。
その後、今度は三成が追い込まれていきます。
真田丸33話は追い込まれていく三成が出てくるでしょう。
さて、真田丸32話は応酬という題がついています。
応酬とはやりあうことですね。
これは三成と家康の応酬です。
そして、長曾我部盛親・明石全登が登場しました。
この二人は大坂の陣の最後まで信繁とともにしています。
また、徳川秀忠は家康に江戸に帰るように言われました。
秀忠は家康にとって理想的な跡取りではありませんでした。
ただ、家康にとってはこの息子ぐらいしか死角がありません。
秀忠はこの後、「真田丸」で一つの役回りを演じていくでしょう。
特に、信繁の兄信幸の悩みの種になっていきます。
真田丸32話応酬の感想。
私は応酬というよりも三成の失敗のように思いました。
三成の思うとおりにならない豊臣政権。
そして、そこには秀吉という偉大な存在がいたころの輝いている自分の姿。
三成はそんなことを思わずにはいられなかったでしょう。
真田丸32話応酬の感想を書きました。