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三重県津市の建武中興十五社結城神社を訪ねました。

三重

建武中興十五社結城神社

建武中興十五社と呼ばれる神社があることを御存じでしょうか。

いずれも鎌倉幕府倒幕と建武の新政に功のあった人物をお祀りしています。

後醍醐天皇から護良親王等親王や、新田義貞・楠木正成など15柱がその縁の地にてお祀りされています。

建武の新政は足利尊氏の独立によって崩壊します。

しかし、後醍醐天皇の理想を追いかける姿勢に多くの武将が心を動かされました。

建武中興十五社は後醍醐天皇擁する南朝方の武将等をお祀りしています。

今回は、三重県津市にある建武中興十五社の結城神社を訪ねました。

三重県の県庁所在地津市。

その津市の中心地から南へ車で4kmほど走ると結城神社があります。

結城神社の祭神は結城宗広です。

結城家とは、もとは茨城県結城市を本拠にした豪族です。

結城宗広はその分家として奥州白河の地に拠っていました。

やがて、後醍醐天皇の倒幕に参画することで頭角を現します。

その後、建武の新政崩壊後は南朝派の奥州鎮守府将軍北畠顕家を補佐します。

北畠顕家の奥州からの2度の上洛に随身しますが、2度目で軍は壊滅します。

結城宗広は南朝の本拠地吉野に命からがら逃げます。

その後、伊勢から奥州へ渡るために船を使いますが、嵐に遭います。

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彼は奥州に戻りたかったでしょう。

何度も奥州に帰って再起を図ろうとしましたは、叶いませんでした。

晩年の彼は悶々とした日々を過ごし、病没します。

明治を迎え、結城宗広は建武中興十五社の一つとして結城神社に祀られました。

結城神社の御利益

結城神社の御利益は縁結びだといわれているようです。

しかし、どうでしょう。

歴史的経緯からいうと結城宗広は晩年の故郷への想いの強さがあるのではないかと思います。

一歩踏み出せないという方。

結城神社で踏み出せなかった御祭神の力を御利益にしてみてください。

きっと後押ししていただけるのではないかと思います。

結城神社の御利益は心願成就だと思います。

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結城神社のしだれ梅

結城神社はしだれ梅のスポットとして有名のようですね。

結城宗広は1339年1月1日に逝去します。

彼の葬儀が済んだころ、このあたりは梅が咲き始めたのでしょうか。

その後、結城地蔵としてお祀りされていたようです。

その後、明治になって顕彰されました。

結城神社の梅は2月上旬から咲き始めるようです。

梅花祭りの期間は2月上旬から3月下旬です。

梅花祭りの期間は結城神社の梅園は有料になります。

見ごろは3月1日ぐらいでしょうか。

 

結城神社へのアクセス

結城神社へのアクセスを紹介します。

結城神社の最寄駅はJR紀勢本線阿漕駅になります。

JR津駅から4分ですが、電車は1時間に1本ぐらいです。

ちなみに結城神社には駐車場があります。

250台入るそうですが、梅の時期は駐車場はいっぱいになるようです。

車でのアクセスは伊勢自動車道津ICから車で約15分です。

 

その他の予備知識として

結城神社には剣道場「結武館」があります。

そして三重県剣道連盟の本部道場となっています。

結城神社は剣道の中心地的役割を果たしているんですね。

三重県にとって、非常に重要な場所なんですね。

三重県には結城神社の他にも建武中興十五社の北畠神社があります。

奈良と三重に建武中興十五社が多いのは奈良県吉野に南朝の本拠地があったからです。

社務所の奥には神社の宝物を置いた施設があります。

ここは入場料が150円ぐらいだったと思います・・・。

ここでは後醍醐天皇や北畠顕家の文書がおいてありました。

明治期に歴史の顕彰として設置された建武中興十五社。

太平洋戦争の敗戦とともに、南北朝の歴史は影を潜めます。

バブルの崩壊とともに、歴史の価値観も変遷しつつあります。

 

結城神社の狛犬

結城神社の狛犬は筋肉質ですね。

もう驚くぐらいムキムキな珍しい結城神社の狛犬・・・。

実は、建武中興十五社の狛犬はどこも結城神社の狛犬と同じようにムキムキなんです・・。

 

 

私は南北朝期の歴史がとても好きです。

建武中興十五社は全部回りたいなと思っています。

三重県津市の建武中興十五社結城神社を訪ねました。

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