大坂の陣。
そのクライマックスはいくつかあります。
大坂夏の陣のクライマックスの一つは塙団衛門の樫井の戦いでしょう。
樫井の戦いは徳川方先鋒の浅野家と豊臣方の武将大野治房の一手で行われました。
場所は大阪府泉佐野市樫井。
この戦いにおいて、塙団衛門はたった10騎で突入しました。
大野治房部隊は約2万の兵隊を持っていました。
しかし、その先鋒だった塙団衛門はたった10騎でした。
その理由が、今日のお話しの主題です。
大阪の寺内町巡りに貝塚の貝塚御坊願泉寺を訪ねました。
大阪の貝塚御坊願泉寺の寺内町
大阪府貝塚市は大阪市から南へ約40km。
JR大坂駅から電車で50分程で行くことができます。
現在の大阪府域は戦国時代、浄土真宗の一大拠点でした。
現大坂城周辺に浄土真宗の本拠地石山本願寺があり、そこが関西一円の浄土真宗の拠点と結ばれていました。
大阪府南部地域の拠点は貝塚にあった貝塚御坊願泉寺です。
御坊と呼ばれるのは浄土真宗の道場のあるお寺を指します。
大阪には御坊が他にも枚方や八尾にもあります。
八尾御坊は前回紹介しました。
http://tadaakifujimaru.com/2016/09/23/post-1773/
私の住んでいる奈良にも御坊は5つあり、俗に大和五か所御坊といわれています。
箸尾御坊(田原本御坊を加える場合有)・畝傍御坊・今井御坊・高田御坊・御所御坊。
どこのお寺も普通のお寺ではありません。
巨刹というに十分に相応しい巨大寺院です。
大阪の寺内町貝塚御坊願泉寺のぼっかんさん
そんな大阪府南部の信仰拠点の貝塚御坊願泉寺。
今でも立派な本堂を残しています。
そして、ここの住職は代々、卜半(ぼっかんさん)と呼ばれていました。
大阪夏の陣の際、当時の卜半は豊臣方を足止めし大きな功績を挙げました。
大坂夏の陣では大野治房隊が紀州の浅野隊に攻撃を仕掛けて戦いが始まります。
その大野隊の先鋒は猛将と評判の塙団衛門直之。
彼の部隊は彼と彼の近臣10名程度を除きほぼ全軍がこの貝塚御坊願泉寺で足止めされます。
卜半は浅野勢などすぐ蹴散らせるのでここで休止くださいと酒肴を出します。
それに塙団衛門の軍勢も後続の大野勢も完全に気を許してしまいます。
しかし、もう一人の先鋒岡部大学勢の進軍情報に刺激され塙は近臣のみで突出します。
それにほかの軍勢はついていきませんでした。
貝塚御坊後に徳川方にこの功績を激賞され、貝塚御坊は多くの特別待遇を受けるようになりました。
そんな貝塚御坊願泉寺を訪ねました。
貝塚御坊は南海貝塚駅から徒歩で約7分。
いかにも立派な塀が出迎えてくれます。
この界隈はお寺を集めたような形になっており、願泉寺の向かいにもお寺がありました。
大きな山門です。
そして大きな本堂。
太鼓楼があるのは浄土真宗の特徴ですね。
浄土真宗のお寺は檀家寺で、観光寺院ではありません。
なので、宣伝されることも基本的にはありません。
しかし、見る価値は大いにあります。
大阪府南部に行くことがあればぜひ訪ねてみてください。
大阪の寺内町めぐりに、貝塚の貝塚御坊願泉寺を訪ねました。