松田聖子・ZARDの坂井泉。
福岡が生んだスターと言えるこの2名。
このお二人はともに本姓を蒲池と言います。
松田聖子は蒲池法子・ZARDの坂井泉は蒲池幸子と言います。
このお二人は福岡に名だたる名門、蒲池氏の子孫です。
そんな蒲池氏の本貫地、つまり本拠地がかつてあった場所があります。
福岡といえば西日本鉄道、通称西鉄です。
その西鉄の大牟田線に、西鉄蒲池駅という駅があります。
今回はその蒲池界隈を紹介します。
蒲池一族の本拠地、西鉄蒲池駅界隈を歩きました。
蒲池は柳川市の北部
蒲池は水都と呼ばれる柳川市に所属しています。
かつての柳川の城下町とは少し離れており、駅では3駅離れています。
この蒲池氏とはこの蒲池地域を中心とした豪族でした。
その実力は約20万石と言われています。
20万石といえば、この時代5000人を越す兵隊を擁していた計算になります。
福岡県南部筑後国の筆頭豪族として地域を治めていました。
その蒲池氏の本拠がこの蒲池になります。
地名の由来
この蒲池とはもとは蒲生・カモと呼ばれていた可能性があります。
カモとは古代の豪族ですね。
その加茂一族は出雲から来たとも、奈良の御所発祥とも言います。
加茂一族は一般に水のきれいな場所に多く分布していきました。
今でも全国を訪ねると大抵は水のきれいな場所や水の豊富な場所に
加茂という地名が残っていたりその縁のお社が建っていたりします。
またの説としては、カモの多くいた湿田地帯という説もあるようです。
蒲池家は江戸期以前の領主
歩いてもわかりますが、湿田地帯が広がっています。
柳川はかつては柳河と呼ばれていました。
まさに、この湿田地帯にふさわしい地名ですね。
そして、柳川は江戸期、立花藩がありました。
蒲地家はその前にこの地域を収めていた豪族でした。
簡単に言うと、城下町という思想の薄かった時代の豪族です。
蒲池氏はその名前や地名の通り、湿田地帯を活かした攻防を繰り返します。
この筑後中部地域を狙った多くの敵対勢力がこの湿田に悩まされます。
今回は駅の東側を歩いてみました。
集落と集落の間には橋が架かっています。
かつてはこのクリーク(溝)で洗濯などもしていたのでしょうか。
天満宮のある集落は安楽寺領地だった可能性がある
地域の北の方に神社がありました。
行ってみると、天満宮でした。
九州において、天満宮や菅原神社がある場所。
この多くはかつての安楽寺(現在の天満宮)領だった可能性があります。
蒲池地区は茣蓙の産地だった
集落の中の公民館の横には伝統工芸の碑が建っていました。
近くを歩いている人に訪ねてみると、何でも茣蓙(ござ)の産地だったそうです。
この界隈はイ草を栽培して、茣蓙を作っていたようでした。
茣蓙は今でも細々と作られているそうです。
私の太宰府の実家でもここで作られた茣蓙を使っていたかもしれません。
茣蓙は生活品でおそらく消耗品だと思います。
昔はどの地域でも作っていたものかもしれないですね。
これはまたどこかに行った際に情報を集めてみようと思います。
茣蓙から地域経済の規模や範囲などもわかるかもしれません。
1時間半ほど、小さな集落を散策してみました。
水郷というにふさわしい蒲池界隈でした。
その南側遠くに柳川の市街地が見えます。
次回は蒲池氏のお城跡にも行ってみたいなぁと思いながら。
蒲池一族の本拠地、西鉄蒲池駅界隈を歩きました。