美濃の蝮といわれた斎藤道三と尾張のうつけ者と呼ばれた織田信長。
常人ではない斎藤道三と織田信長の聖徳寺の逸話や名言と最期の愛情について紹介します。
斎藤道三と織田信長の聖徳寺の逸話
美濃の国を手中に治めた斎藤道三。
彼は追放した旧国主が尾張の織田信秀に保護されながら活動していることを封じようとします。
そこで斎藤道三は織田信秀の嫡男織田信長へ自分の娘を嫁がせることにします。
そして縁組の後に斎藤道三は織田信長に会見を申し入れます。
場所は斎藤と織田の勢力圏の間の緩衝地帯である聖徳寺。
聖徳寺の会見には斎藤道三と織田信長の逸話があります。
斎藤道三は事前に信長の顔を観ようと軽装で途中の民家を借りて待ち伏せして盗み見をします。
その際に織田信長の服装はひどく、斎藤道三は軽装のまま会見に臨みます。
しかし、織田信長は正装で出てきたそうです。
斎藤道三は自分の子供達は織田信長の臣下になるだろうと言ったそうです。
斎藤道三と織田信長の最初の逸話です。
斎藤道三と織田信長の逸話・・・兵隊を借りて留守部隊とした逸話
織田信長は敵との戦いで斎藤道三から兵隊を借りてお城の留守部隊とします。
同盟相手ですが、門を閉じて、乗っ取られれば終わりです。
しかしこの件、信長は斎藤道三を信頼できるという勘定が働いています。
斎藤道三はそれを非常に好意的に捉えたでしょう。
斎藤道三と織田信長の逸話・・・軍事機密を積極的に提供した斎藤道三の逸話
斎藤道三は徐々に織田信長に好意を持ち始め、なんと軍事機密を信長に提供し始めます。
長い槍の方が短い槍よりも強いので使ってみるようにと情報を提供したそうです。
斎藤道三の名言と最期の愛情について
斎藤道三はやがて息子の義龍と争いになります。
義龍は実は追放した元国主の子供だったという逸話があります。
そして、道三に反旗を翻します。
斎藤道三は劣勢になりますが、織田信長の使者が救援を申し入れてきました。
兵力は斎藤義龍約1.5万人・斎藤道三は約2000・織田信長は3000程度です。
その際の斎藤道三の逸話です。
『帰って婿殿に伝えよ。いくさとは損得でするものぞ』
斎藤道三は息子の裏切りに婿殿が救援に来てくれるという話が嬉しかったでしょう。
しかし組織のトップとして婿殿に最期の教育をしたのでしょう。
その教育を織田信長は無視して救援に向かいますが、間に合いませんでした。
織田信長は斎藤道三から非常にかわいがられました。
この救援はリスクがあったでしょう。
それでも行動した織田信長。
私はここに織田信長がその後、偉人になった理由があったと思います。
人は自分の考えや思いを真剣に人に伝える・行動に移さなければいけない時期があるでしょう。
そこに常に損得勘定だけが動いていても自分というものは活かせないように思います。
斎藤道三の織田信長への最後の愛情はそんな名言として逸話になっています。
斎藤道三と織田信長の聖徳寺の逸話や名言と最期の愛を紹介しました。