大河ドラマ西郷どんでは特殊な薩摩藩の事情を紹介しています。
せごどんの解説・・特殊な薩摩藩の日向送りと薩摩飛脚の謎を紹介します。
せごどんの解説・・・特殊な薩摩藩の風土
日本最南端の鹿児島に所在していた薩摩藩。
薩摩藩はいわば端にあるために情報が最後に溜まる場所になります。
右から左に抜けていかないんですね。
また、中央から集まってくる情報への対処も他の藩とは違います。
例えば、薩摩藩は浄土真宗を禁止していました。
これは浄土真宗にかつて政治を超越した歴史があったからですね。
他地域はこれができませんでした。
しかし、薩摩藩は膨大な軍事力を背景に領内を厳しく取り締まりました。
また、情報の出入りには細心の注意を払っていました。
せごどんの解説・・・日向送りが処刑な理由
せごどん17話では吉之助と月照の日向送りの場面がありました。
日向送りとは隠語のようなものでしょう。
日向国の南半分はほぼ薩摩藩領でした。
言葉のニュアンスとしては転勤というような意味でしょう。
しかし、実際にはこれは処刑を意味していたそうです。
どういうことなのか。
薩摩藩は領内に外から人が入ることを非常に厳しく禁止していました。
しかし、それでも入ってくるんですね。
それに対して、藩命で領内をたらいまわしにして、途中で処刑してしまいます。
後に西南戦争の際に薩摩藩と共に立ち上がった支藩の日向佐土原藩の話があります。
薩摩の歴史は非常に差別のきついところで、西南の役の際に佐土原藩士は見下されていたそうです。
もう薩摩藩の連中とは一緒にやれんと若い衆が激昂したという話があります。
ここに日向送りという言葉のニュアンスがなんとなく見えてくるように思いました。
せごどんの解説・・・薩摩飛脚の謎
江戸時代の薩摩を表す言葉の一つに薩摩飛脚という言葉があります。
薩摩に送った江戸幕府の密偵がほとんど戻ってこなかったという話です。
薩摩は領内の監視を非常に厳重にしていました。
特に国境の地域は地元の郷士団が厳しく見張っていました。
有名なのは出水地方ですね。
薩摩藩は領内の統制から、藩士の統制まで極めて峻烈でした。
それは後に西郷隆盛や大久保利通の明治維新の功業を助けました。
しかし、その一方で、閉鎖的社会は後に西南戦争へと進んでいきました。
私はそんな薩摩という地域が非常に好きです。
日本にこの地域があったからこそ、明治維新は成り立ったのだと思っています。
せごどんの解説・・特殊な薩摩藩の日向送りと薩摩飛脚の謎について紹介しました。