日本史でも著名な兄弟西郷隆盛と従道。
兄と弟は晩年に生き別れのようになってしまいました。
せごどんの解説・西郷隆盛を演じ続けた晩年の慎吾を紹介します。
せごどんの解説・・薩摩のリーダー像は君臨すれども統治せず
薩摩の教育は郷中教育と呼ばれています。
郷中教育ではお先師のいうことを良く聞くことを決まりとしています。
お先師とはリーダーです。
薩摩の伝統的教育は教養ではなく勇敢であることを大事にします。
戦争の差配はお先師が指導します。
薩摩では、お先師は人望がある人が選ばれます。
古書ではこう言います。
「大将とは部下が喜んで死地に赴けるだけの魅力が必要である」と。
この場合、薩摩ではリーダーは人望家が選ばれます。
実際の作戦担当などは他の部下たちが担当します。
人望がある人のもとには才能が集まるという形が薩摩の理想です。
せごどんの解説・・西郷隆盛という人のリーダー像
西郷隆盛は巨大な人望家です。
従兄弟の大山巌が晩年に言って言葉が残っています。
西郷さんは何の欲もない人だったが一つだけ欲があった。
それが人望への欲だったと。
西郷隆盛は薩摩型教育のもとでまさにお先師として生まれてきたのでしょう。
せごどんの解説・・西郷兄弟を別れさせた征韓論論争
さて、西郷隆盛と弟の慎吾・のちの従道は晩年に生き別れになります。
韓国を征伐する征韓論を巡って、政府は真っ二つに分かれます。
その際に、慎吾は兄に付かずに大久保利通につきました。
欧米を訪問した慎吾は兄の唱える征韓論には同調できませんでした。
薄氷の上に存在する国力の弱い当時の明治政府。
その明治政府が朝鮮半島に侵攻すれば、列強の餌食になるのは目に見えていたでしょう。
そして兄の隆盛は薩摩へ帰ってしまい、ここで生き別れになってしまいました。
せごどんの解説・・西郷隆盛を演じ続けた晩年の慎吾
西郷隆盛を追うように西南の役の半年後に逝去した大久保利通。
薩摩グループは二大巨頭をほぼ同時に失います。
ここで、慎吾が大きな役割を果たします。
慎吾は薩摩グループのリーダーとなります。
西郷隆盛を彷彿とさせる慎吾のふるまいに、世間は慎吾を「小西郷」と呼びました。
日本で最も人気のある偉人の一人である西郷隆盛。
今に続く日本政府の基礎を作った大久保利通。
慎吾はその二人の後ろ姿を見て懸命にリーダーの姿を学んだでしょう。
その君臨すれども統治しない人望家型を慎吾も吉之助のように演じ続けます。
その姿を見て、後に隆盛や慎吾の従兄弟の大山巌もそうなります。
大山巌はその人望家として日露戦争を勝利に導きました。
せごどんの解説・・西郷隆盛を演じ続けた晩年の慎吾を紹介しました。