せごどんは最終回を迎えました。
鹿児島を見下ろす城山ですべてが進行していきます。
せごどん最終回の解説感想・城山に散った武士達の明治維新を紹介します。
城山に追い詰められた吉之助と薩摩隼人たち
明治10年 1877年2月6日、薩摩の地で兵をあげた吉之助。
同年9月1日、鹿児島に帰還し城山に籠ります。
薩摩軍は熊本へ向かい人吉に退き、宮崎に転戦し、九州山地を強行して薩摩に帰ります。
薩摩は当時政府の管理下でしたが、突然現れた薩摩軍に驚き道をあけました。
最期の筋書きに難渋する政府首脳
城山に籠った吉之助と薩摩軍。
明治政府の首脳たちはその最期の筋書きに難渋します。
政府の中には吉之助の恩恵を受けていない人の方が少なかったからです。
さらに政府軍の首脳には吉之助の弟の慎吾もいました。
薩摩・長州中心の政府首脳陣。
吉之助の人格的迫力は政府首脳陣を困惑させました。
大久保の内国勧業博覧会
西南戦争の始まった2月。
大久保は同年8月21日から東京上野にて内国勧業博覧会を開催します。
その勧業博覧会の最中に西南戦争は終結してしまいます。
大久保が自分の人生をかけて作り上げてきた殖産興業。
その成果を紹介する第一回内国勧業博覧会。
その最中に、日本の歴史が変わっていきました。
吉之助と薩摩軍の最期の宴
政府は9月24日に総攻撃をかけると吉之助に通告します。
城山の包囲が整ったのが9月6日。
それから18日も日にちが経っています。
これは宮崎の可愛岳での失敗をしないためでした。
政府は包囲防衛を第一に、攻撃は第二にとして、逃がさないようにしました。
9月23日の夜、吉之助と薩摩軍は最期の宴を愉しみました。
9月24日、早朝4時に政府軍の総攻撃が始まります。
吉之助と薩摩軍は突撃を行います。
午前9時、銃声は止みました。
ここに西南戦争は終結しました。
西南戦争の終結は武士の時代の終結
列強が進出してきたアジアとその恐怖に喘いだ幕末の日本。
日本はその時代の流れに遅れまいと四苦八苦しながら国の近代化を進めます。
反発を覚える旧支配層の武士たち。
3000万人の人口のうち、100万人が武士でした。
武士は本来、非常時の戦闘員として雇用されています。
政府はその武士の身分を剥奪して新政府の予算を作り、殖産興業に勤しみました。
その中心が大久保利通でした。
一方の、西郷隆盛。
西郷はその武士団の不満の最期の頼みとなっていました。
人望家の西郷が立ち上がればもう一度武士の時代に戻してくれる・・・。
しかし、西郷はその最期の頼みの役割を果たしたのでしょうか。
武士は西南戦争の終焉によって、その権利と誇りを完全に失ったでしょう。
西郷と薩摩軍は日本の‘武士’の最期の誇りの結晶だったかもしれません。
士族団最強を誇った薩摩軍が壊滅した時、日本中の武士が時代が終わったと認識したでしょう。
桐野や村田を始めとした西郷の幕僚たちは倒幕を成し遂げ、城山に散りました。
そして、大久保の殖産興業はスピードを上げて明治43年に日本は生糸の生産量が世界一になります。
西郷は大久保の仕事を最期に手伝ったともいえるかもしれません。
仲違いしたように語られる2名の巨星。
しかし、二人は日本を漸進させてくれました。
1人の日本人としてとても感謝します。
せごどん最終回の解説感想・城山に散った武士たちの明治維新を紹介しました。