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麒麟がくるの斎藤道三の生涯と逸話について

麒麟がくる

明智光秀を主人公とする大河ドラマ麒麟がくる。
明智光秀の青年期はその主君である斎藤道三の影響が大きかったでしょう。

麒麟がくるの斎藤道三の生涯と逸話について紹介します。

斎藤道三は京生まれの僧侶で後に油商人となる

斎藤道三は実は良くわかっていない人物です。
正確な記録はA4の1枚にも満たないといわれています。
わかっていることを少しずつ。

妙覚寺の僧侶だったといわれている斎藤道三。
斎藤道三は逸話では全山を背負う逸材だったそうです。

全山を背負う逸材だったということは、容姿端麗で弁才に長けていたのでしょう。
また、禅宗は体験の仏教です。
読経・掃除など、実は身体を使います。
道三は運動神経もよかったのではないでしょうか。

しかしある時一念発起し、油商人となり山崎屋を名乗ります。
当時、京の南西の山崎は石清水八幡宮の麓にて油座がありました。
その油座が著名だったので、山崎屋を名乗ったのでしょう。

斎藤道三の著名な逸話として、油を穴の開いた銭の真ん中を通して売っていた話があります。
このようなことができる人間はやはり身体能力が高かったと僕は思います。

 

美濃へ

齋藤道三は美濃へ向かいます。
美濃には妙覚寺時代の同僚がいました。
この時代、地方の寺院の住職というのは地方の有力者の一族であることが多いです。
道三の同僚も美濃の有力者の一族でした。

道三はその有力者の一族の伝手を探りつつ、権力に近づきます。
京で仏閣の世界をしり、商人としても成功した斎藤道三。
地方政権の権力者はその弁才や知識に魅了されたでしょう。
そして、美濃国主、土岐家の当主の側近として頭角を現します。

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斎藤道三と明智光秀

美濃国は土岐家の親族でほぼ埋め尽くされているような地域です。
これは鎌倉期以降、土岐家が親族を増やして地域を開墾したり、戦争に勝利した結果です。
この時期の各地の名家はほぼ親族争いを行っています。
足利政権の初期から、この親族で分裂することがほぼ繰り返されます。
道三は土岐家の兄弟争いに目を付けて行動します。

そして、片方をまずは追放し、実力を蓄えます。
その後、もう片方も追放することで自分の権力を確立しました。

土岐家の主家はそのような形で追放されます。
しかし、分家の多くも敵味方に分かれて争っています。
道三は巧みにその対立構図の中で自らの勢力を作っていきました。

そんな中で、斎藤道三と明智光秀は出会います。
明智光秀の明智家は美濃の東部の山間の出身です。
美濃は広大な西部と狭隘な盆地が点在する東部に分かれています。
西部は開墾で開かれているのに対して、東部は旧態のままだったでしょう。
そこに道三は目を付けて東部の明智勢力の取り込みを行い成功します。

道三はその妻を明智家から迎えます。
明智光秀の叔母が道三の正室となりました。
そして、そこに斎藤道三の娘、帰蝶、通称濃姫が生まれます。
そこから斎藤道三の娘と明智光秀はいとこになります。

このようにして明智勢力の取り込みに成功します。
明智の家は斎藤道三と最後まで共にします。

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斎藤道三の逸話と名言

斎藤道三には永遠のライバルである織田信秀がいます。
信長の父信秀。
二人は実に何十回も戦争を繰り返します。
が、それにお互いに疲れて講話を結びます。
そして斎藤道三は愛娘の帰蝶を信長の妻にします。

そんな斎藤道三が娘の主人信長に会いに行った逸話があります。
うつけ者と評判だった織田信長。
道三はそれを見極めて自分の子孫と比べようとします。
そして道三と信長は会見することになりました。
場所は美濃・尾張国境の聖徳寺でした。

道三は会場に先に入りますが、婿を待ちきれず、事前に盗み見を計画します。
そして、道路わきの民家を借りて信長一行を待ち受けます。
信長は評判通りの変なファッションでやってきます。
しかし、鉄砲を持った家来がいるなど独創性を感じたそうです。

道三は会見の席でラフな格好で出ていきます。
すると信長は先ほどとは見違える正装で現れました。

道三は自分の子孫は信長の家来になるだろうと言ったそうです。

斎藤道三の最期

斎藤道三の最期は滅裂です。
息子長男としていた斎藤義龍に裏切られます。
斎藤義龍の妻は深芳野。
深芳野は実は道三が主君頼芸から賜った頼芸の側室でした。
そして道三と結婚する前から実は懐妊していました。

それを義龍は知り、自分は土岐家の子孫であると宣言します。
道三は隠居して義龍に政務を預けていました。
なので、周辺に家来はいませんでした。
土岐家の嫡流を宣言した義龍は道三と戦います。

道三の最期は長良川の河原で義龍の部下に槍で殺されました。
道三はその最期を全うすることができませんでした。

京妙覚寺の僧侶道三がその最期を迎えると共に、織田信長の時代が始まります。
そして、美濃の勢力の代表に明智光秀がなるのはもっと後の話です。

麒麟がくるの斎藤道三の生涯と逸話について紹介しました。

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