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麒麟がくるの解説・・・日蓮宗と鉄砲が繋がる畿内の特殊な事情

麒麟がくる

麒麟がくる5回では光秀と鉄砲の関係を紹介します。
最先端の武器「鉄砲」は当時如何にして流通していったのか。
そこには宗教と武器という一見相いれないものが繋がる畿内の特殊な事情がありました。

麒麟がくるの解説・・日蓮宗と鉄砲が繋がる畿内の特殊な事情について紹介します。

 

麒麟がくるの解説・・畿内で繰り広げられた宗教戦争

中世の畿内は宗教の力が非常に強い時代でした。
その象徴は奈良一国を支配する興福寺と京・近江に所領を多く持つ比叡山延暦寺です。
延暦寺は天皇や将軍の帰依(領地の寄付等)で発展してきました。
それに対して、京の町人が信仰したのは法華宗でした。

この時代、京での金融は比叡山が支配していたそうです。
京の金貸しの75%は比叡山の資金での金貸しを行い、残りの25%は比叡山関係者だったそうです。

それに対し、新興の宗教は日蓮宗・浄土真宗が勢力を伸ばします。
しかし、この日蓮宗と浄土真宗は延暦寺から攻撃を受けます。

1536年、延暦寺は法華宗と宗教問答をします。
宗教問答とはお互いの宗派が問いかけあい、どちらが優れた答えを出せるかを競います。
その結果、延暦寺は敗れ面目を失います。
そこで、延暦寺は法華宗を有害だと考え撃滅に乗り出します。

延暦寺の僧兵は京へ乱入し、法華の21の本山をすべて焼き払いました。
延暦寺に敗れた法華宗は、一時期逼塞します。

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麒麟がくるの解説・・本能寺の布教先

しかし、そこは宗教。
日蓮宗は全国への布教を進めていきます。

法華21の本山の1つ、本能寺も布教活動を進めます。
その布教先は近畿から全国へ北陸や瀬戸内海から九州までも進みます。

その布教先の一つが鉄砲伝来前の種子島でした。

 

麒麟がくるの解説・・宗教を通じて畿内に渡った鉄砲

上記の1536年、延暦寺と法華宗の争いである天文法華の乱。
その後、1543年に種子島に鉄砲が伝来します。

種子島に伝来した鉄砲を紀州根来寺の僧が買い求め畿内に持ち帰ります。
それから堺などに伝わり、製造が始まります。

1549年足利幕府の管領細川晴元が本能寺を通じて鉄砲を手に入れています。
宗教が武器を普及させる一つの役割を担いました。

 

麒麟がくるの解説・・織田信長と本能寺

圧倒的な商業力を持っていた畿内。
そこで鉄砲が量産され、時代を動かしていきます。
その鉄砲の力を最大限に発揮したのは、織田信長でした。

そして、定かではありませんが、明智光秀は鉄砲の名人だったといわれています。
戦いにおける鉄砲の使用方法を考案し、信長に伝えたのも光秀かもしれません。

信長は本能寺の僧日承上人を慕っていたといわれています。
そして天文法華の乱以降、本能寺は寺院を城郭化していました。

信長は本能寺を宿舎としました。
しかし、信長は宗教だけではなく鉄砲にも注目していたでしょう。

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麒麟がくるの解説・・日蓮宗と斎藤道三

明智光秀の主君斎藤道三もまた関係していたでしょう。
なぜなら斎藤道三もかつては京で日蓮宗の僧侶でした。

畿内が小刻みな戦争を繰り返している間に力を付けた濃尾平野。
そこから織田信長が大挙して上洛し、畿内を制圧していきます。
制圧した畿内を徐々に任されて責任者になったのが明智光秀でした。

新兵器の鉄砲は実用までは実に長い年月がかかっています。
しかし、関ケ原ぐらいになるともうかなり実戦で使用されています。

斎藤道三・織田信長・明智光秀。
司馬遼太郎さん著書の「国盗り物語」の主人公の3人。
3人の物語は本能寺という寺院で終幕を迎えたでしょう。

当時の畿内には宗教争いがあり、それが栄枯盛衰しながら時代の新兵器と結ばれていきました。
宗教と鉄砲という相いれないものが繋がるの特殊な事情を持った畿内の事情だったのでしょう。

麒麟がくるの解説・・日蓮宗と鉄砲が繋がる特殊な畿内の事情を紹介しました。

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