下の者が上の者を倒す時代。
戦国時代には多くの価値観の逆転がありました。
麒麟がくる6回の解説・・細川が三好を襲撃した本当の理由を紹介します。
麒麟がくる6回の解説・・鉄の生産量が上がった時代
室町時代末期、戦国期に入ること、日本は鉄の生産量が上がります。
外国から新しい鉄の生産方法が伝わったことからこの時代が動き始めます。
鉄の生産量が増えると、農機具や武器の製造が盛んになります。
そして、農業生産力が劇的に向上していきます。
京にいた守護大名・領国にいた守護代
この頃、国内各国の責任者は守護大名といいます。
守護大名は京に居て、将軍のそばに仕えます。
そうすると、地元の管理が難しいですね。
そこで領地の管理を請け負うのが守護代と呼ばれる人です。
守護大名は守護代に領国の管理を委任します。
麒麟がくる6回の解説・・日本の伝統だった代理管理
これは日本の伝統であり、平安時代なども各国の責任者は京にいて、管理者が領国に赴任します。
朝廷に仕える朝臣と呼ばれる人は実は京から離れることを禁止されていました。
この場合、やはり委任するしかないですね。
それが、この体制が日本の伝統となる理由です。
将軍に仕える守護大名は京に住み、守護代が領国管理を担当します。
麒麟がくるの場合は、細川が三好に領国管理を委任しています。
麒麟がくる6回の解説・・請け負いだったといわれている年貢の徴収
この時代、年貢の徴収は請負制だったといわれています。
どういうことかというと、各国の収入というのは決められていました。
しかし、農業とは豊作・不作がありますね。
例えば大和国であれば米俵10000俵(例)というような収入が決まっていました。
代理で管理する人は10000俵納めればよいということになります。
しかし、鉄の生産量がぐんぐん伸びたことに合わせて農業生産力も劇的に向上します。
すると大和国で20000俵取れれば、半分は守護大名・半分は守護代に入ることになります。
この連続で、守護大名は守護代にとって代わられることになります。
麒麟がくる6回の解説・・細川家に課せられた使命と三好の犠牲
細川家は足利の親族であり、足利家を補佐する使命があります。
しかし、足利将軍家は政権基盤が弱いんですね。
足利幕府は有力大名による連合所帯のような政権でした。
この当時68か国あった国。
そのうち、細川が8か国・山名が10か国・畠山が5か国などを有しています。
そうすると、この有力大名たちによる抗争が止まりません。
それを最も献身的に支えてきたのは細川家といって間違いないでしょう。
しかし、無理に無理を重ねます。
その細川にとって一番重要な国が阿波国です。
細川家は足利幕府の確立において、阿波を中心とした四国の中枢を支配下に置いていました。
その阿波国の最も有力な豪族が三好家でした。
細川家が中央で戦争を起こすたびに三好家が動員されます。
そして三好家は当主が抗争に巻き込まれたりすることが繰り返されます。
そして、農業生産量の向上と共に、三好家の心は少しずつ細川家から離れていきます。
麒麟がくる6回の解説・・細川が三好を襲撃しなければいけなかった本当の理由
京を中心に足利幕府の家督争いに参加していた細川晴元。
それを支援する三好家。
しかし、三好は細川の領土の管理を少しずつ自分の物にしていきます。
そして着々と実力をつけていきました。
細川晴元が気付いた時には、もう畿内は三好家の勢力の強い場所になっていました。
こうなると、正攻法では細川は三好を倒すことができません。
その結果、細川は京での外交や政治力を使ったり、襲撃などの手段を使っていきます。
そのたびに、細川と三好は力の差がはっきりしていきます。
細川が三好を襲撃した本当の理由は、既に三好家に圧倒されていたからでした。
麒麟がくる6回の解説・細川が三好を襲撃した本当の理由を紹介しました。