織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。
日本の歴史を作ってきた偉人。
その多くの人物が歴史の教科書に収まっています。
現代社会が評価をする偉人達。
しかし、現代社会と当時の社会情勢は劇的に違います。
また、現代人はその人物の行為や実績に注目しがちです。
そして、現代社会も少しずつ考えや価値観が変わっていきます。
今回はそんなことを少し書いてみようかと思います。
歴史上の人物の実像と虚像について紹介します。
歴史上の人物は実績がイメージとなる
歴史上の人物は歴史の教科書等で紹介されます。
ページの限られた場所での紹介になります。
その場合、人物とその実績だけが紹介されるようになります。
行数でいえば多くても3行。文字でいえば60文字程度でしょうか。
人の人生をこの限られた文字数で紹介することは無理ですね。
歴史の教科書は歴史を紹介するものであり、人物を紹介するわけではありません。
一方で、歴史の教科書はすべての日本人が学生時代に手にします。
その教科書の事情を日本人すべてが通過するため、日本全体としてはそのイメージができます。
残虐なイメージの織田信長の実像
織田信長を例にとると、比叡山延暦寺を燃やしています。
他にも敵対する一向一揆などを全滅させたりしています。
その実績から、残虐なイメージを持ってしまいます。
しかし、織田信長は非常に家族思いの人物です。
また、多くの人物を追放していますが、部下思いの一面も非常にありました。
それを証明する書状等がいくつか残っています。
敵対する人物について容赦ないのは当時の武将には共通することです。
しかし、この時代で登場する人物は教科書では織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ぐらいですね。
自然と時代の人として登場する人物は限りがあります。
しかし、人には喜怒哀楽があり、数行で結論がでる人物などはいないでしょう。
人生には紆余曲折もあります。
その一部分だけを切り取ると見えてこないものもあるかもしれないですね。
歴史を歴史の教科書のみで終わらせると、そのような印象のままになってしまいます。
吉田松陰が考えた学ぶことの意義
幕末長州の思想家吉田松陰は、学問を学ぶ意義としてこのようなことを言っています。
自分が尊敬できる人を探し、その人の好さを学び身に着けること。
歴史の世界には多くの人物が登場します。
その人物の人となりの中に自分に必要な何かがあるかもしれないですね。
また、自分に似たところもあるかもしれません。
逸話の多い人物を調べると意外性があり面白かったりします。
テレビや本などで気になる人がいれば調べてみてください。
歴史上の人物は、与えられた環境と才能がその時必要とされて期待に応えた人物でしょう。
しかし、誰もが超人では消してありません。
人間の死亡率は実に100%です。
歴史を学び・人を知ることで自分が見えてくることもあるようです。
歴史上の人物の実像と虚像について紹介しました。