奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
第15回目に到着しました。
第30回目で終わらせようとしているので半分到達です。
奈良市長仲川げんの12年を語る・2期目の変化を紹介します。
やるべきことをやり切る宣言
2期目が始まってあまり時間が立っていない頃の話です。
私は当時、奈良市のいくつかの事業の委員をしていました。
決まって、その委員会の後に市長室に呼ばれます。
そこで様々な話をしていました。
しかし、内容のほとんどは市長の市政運営に関してでした。
その中で、少し驚いた発言がありました。
「何をやっても批判はされる。やからやるべきことをやりきる」。
この頃の仲川氏は最も輝いていたと思います。
そして私もその市長を支持していました。
やるべきこととは
市長がその時点でやるべきことと考えていたことはいくつかあったでしょう。
私は少し関係した観光政策と、あとは懸案の火葬場の話が記憶に残ります。
二大目玉観光政策・珠光茶会となら国際映画祭
私は2012年2月に自社の創業5周年記念パーティーを開催しました。
その際に、京都仏教会の有馬賴底猊下をお招きして、奈良で大茶会がやりたいと宣言しました。
有馬猊下と寺社や流儀を行脚し、2014年2月に最初の大茶会を迎えました。
珠光茶会に関しては長い話になるので、次にいくつかに分けて書こうと思います。
もう一つは河瀨直美氏を軸にしたなら国際映画祭です。
こちらは奈良市が主催というよりは奈良市の協賛のある事業でした。
こちらも珠光茶会の後に詳しく書くことにします。
珠光茶会となら国際映画祭は成功したと言えるでしょう。
しかし市長はその成功に増長し、様々な失敗を犯していくようになります。
その失敗についてもまた後に書いていきます。
懸案の火葬場
「100年の課題を解決する」
仲川市長はそう高らかに宣言し、活動を開始します。
しかし、前途は多難でした。
一度決まりかけていた候補地を自ら白紙に戻すと宣言します。
しかし、結局は元の候補地である横井地区の山林に決まってしまっています。
この間、2年間の空白があります。
その空白が総務省の交付金の期限に大きく影響し、無理した分、痛いしっぺ返しを食らいます。
白紙に戻すの出れば、どこに対案があるのか。
それは議会の方でも議論になったそうです。
そこで、議会でも対案として、24号線沿いの佐保川の近くの場所を提案したそうです。
市長は反対派を全否定
しかし、ここが仲川市長の問題点です。
相手が自分から見て正義ではなければ全否定します。
対案を提案した会派?は利権誘導であるといっていた記憶があります。
もし、この対案を飲んでれば、その会派の手柄になったでしょう。
しかし、市長としてはそこに落ち着くのが結果一番良かったのではないでしょうか。
議員の手柄と市長の手柄は違うでしょう。
結果、二期目の間に決着がつきませんでした。
当初の候補地を否定して作った時間的ロスは政治的責任があります。
対案を拒否したのは、度量の低さ、計算の甘さがあったでしょう。
しかし、この時、私はまだ、市長を支持していました。
何よりも、集中砲火の中でもめげずにやっていた姿勢に共感していました。
火葬場の件は、2017年の選挙以降に大問題になっていきます。
が、私はこの件は途中で市長から離れたので知りません。
これは市長と私の信用に関することで、また紹介します。
奈良市長仲川げんの12年を語る・2期目の変化を紹介しました。
次回第16回は、私の懸案だった奈良大茶会・珠光茶会を連載でお届けします。