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甲斐を語る②山梨の葡萄は奈良から伝わり明治以後の日本の国防に貢献した

地域 山梨

山梨は日本を代表する葡萄の産地です。
また、ワインの産地としても著名です。
この山梨の葡萄の由緒は実は奈良にありました。

奈良時代の僧行基と葡萄

かつて、奈良時代、僧行基によって葡萄が甲斐国(山梨)に伝わります。

行基は、東大寺大仏殿の建立にあたり民衆を率いて活躍した僧侶です。
全国各地には行基の築いた堤防や池などが残っています。
行基は、地形を見て、造作を行う才能があったのでしょう。
また、金銀鉱物を算出する山を見て回っていたのではないかと思います。

そんな行基ゆかりの寺院が甲州市勝沼にある大善寺です。
行基は日川渓谷で修行した際に夢の中に葡萄を持った薬師如来が現れたという伝承があります。
修行満願の後、行基は郷の人に葡萄を伝えたといわれています。
こちらの大善寺は、甲斐国の古豪三枝氏の氏寺であったようです。

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雨宮家と葡萄の伝承

甲斐国の葡萄に関係するのは、雨宮という一族です。
信濃縁とも、甲斐縁ともいわれる古い一族です。
1186年、源頼朝の善光寺参りの際に、葡萄を献上した伝承があります。
また、幕末の山梨郡の庄屋、雨宮敬二郎は甲州財閥の一人であり、葡萄の生産に挑戦しました。
この雨宮敬二郎という人は新選組にも少し関係していました。
京から江戸に退却した新選組は甲斐100万石を支配しようと江戸を進発します。
そして、勝沼の地に陣を敷いた折に、雨宮敬二郎と出会った層です。
雨宮敬二郎という人は行動力豊かな人だったのでしょう。

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明治以後の帝国海軍を支えた葡萄とワイン製造

明治以後、大日本帝国海軍は山梨で葡萄とワインの生産を奨励します。
ワインの製造過程で採取できる酒石酸はロッシェル塩の原料となります。
ロッシェル塩は素早く音波を捉える特製があり、水中聴音機やレーダーの探査技術に用いられました。

日本の海軍力は日露戦争以降も世界に誇る軍事力でした。
そして、敗戦後の今も、また、潜水艦は世界最高の水準といわれています。

海なし県の奈良と山梨

海のない奈良と山梨。
それが葡萄で繋がり、海から日本を守るきっかけになっているというのは不思議な話です。
奈良と山梨にはもう一つ共通点がありますが、またそれは
時間のある時に紹介させていただきます。

山梨の葡萄は奈良から伝わり明治以後の日本の国防に貢献しました。

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