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甲斐を語る⑦武田信玄の生涯とライバルたち

山梨

甲斐を語る➆までやってまいりました。
ようやく、武田信玄にたどり着きます。
武田信玄の生涯をわかりやすく説明します。

武田信玄の生涯

武田信玄が生まれたのは1521年、甲府の要害山城といわれています。

誕生時は兄がおり、2歳の時に兄がなくなり嫡男となります。
1542年、22歳で家督を相続します(重臣たちが父信虎を追放)。
1553年、33歳で上杉謙信との戦いが始まります。
1554年、34歳で今川義元・北条氏康と三国同盟を結びます。
1561年、41歳で上杉謙信との川中島の戦いで有能な家臣たちを失います。
信濃国(長野県)の大半を支配下におさめる。
1566年、46歳で上野西部(群馬県西部)を制圧します。
1568年、48歳で今川と断交し、駿河(静岡東部)へ侵攻。北条市と同盟破綻
1569年、49歳で関東へ侵攻・小田原城を包囲し、撤退中に三増峠の戦いで北条氏を撃破。
駿河に再度侵攻し制圧します。
1572年、52歳で遠江・三河に侵攻、徳川家康を三方ヶ原の戦いで破る。
1573年、53歳で三河侵攻中、病気となり、撤退中長野で死去(諸説あり)。

武田信玄の生涯は合戦の連続です。
合戦は大人数の出張で、莫大なお金がかかります。
晩年は毎年合戦を繰り返しています。
なので、武田信玄の生涯は常に資金との戦いでもあったでしょう。

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武田信玄の生涯のライバルと年齢差

武田信玄の生涯における最大のライバルは4人です。

武田信玄1522年生まれ。
上杉謙信1530年生まれ。信玄の8歳年下
北条氏康1515年生まれ。信玄の7歳年上
織田信長1534年生まれ。信玄の12歳年下
徳川家康1543年生まれ。信玄の21歳年下

武田信玄の生涯のライバルは超一流だらけです。
超一流にぶつかるまで敵を平らげていったといえるでしょう。

上杉謙信が武田信玄の生涯のライバルと言われます。
しかし、実際は北条氏康の存在の方が信玄には重くのしかかっていたように思います。

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武田信玄の生涯一度のチャンスを握りつぶした北条氏康

北条氏康は武勇・知勇があるだけでなく、領国の支配体制も盤石でした。
上杉謙信はライバルながらも遠い国の人間であり、北条はすぐ隣国です。
そして今川侵攻の際にも、信玄の利害的な動きに激怒して、信玄と断交します。
ここで氏康が信玄の誘いに乗っていれば、信玄はその後やすやすと上洛したでしょう。
氏康が亡くなるのは、1571年、武田信玄のなくなる2年前です。
駿河侵攻が48歳なので、53歳でなくなっていることを考えても5年の時間がありました。

その一方で、北条氏康は息子氏康に遺言を残したといわれています。
「武田と同盟を結びなおせ、信玄を頼れ」と。

武田信玄は生涯2度しか合戦に敗れていないといわれています。
ただし、結果だけを見れば、いくつか回り道をしてしまっている所もあります。

決して豊かではない国に武田信玄は生まれています。
国を跨ぐ支配体制を作り上げた戦国大名の中では最も小さな国の大名の一人です。
そして、戦国随一の無敵軍団を作り上げます。
その無敵軍団はもしかすると強力なライバルたちが作り上げたともいえるでしょう。

甲斐を語る➆は武田信玄の生涯とライバルたちを紹介しました。

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