
大河ドラマ・豊臣兄弟がついに始まりました。
豊臣兄弟第一話は二匹の猿です。
これから豊臣兄弟の感想を書いていきます。
豊臣兄弟が生まれた尾張国は大開墾時代
室町時代、尾張国を流れる河川、揖斐川・長良川・木曽川流域では大産業革命が起きていました。
それが鉄の生産です。
日本は鉄鉱石があまり取れない国なので、代わりに「たたら製鉄」を行います。
たたら製鉄は、風化した花崗岩を切り崩し川に流し、その中から鉄分を取ります。
そして、1200℃で3日間燃やして鉄の原料「けら」を作ります。
1200℃を維持するために大量に木を伐採して木炭とします。
この一連の行為は山間部の大自然破壊となります。
そして雨が降れば、土砂が大量に下流に流れ込むことになります。
関の刃物などが有名ですが、室町期以降の東日本の武器製造地域になっていました。
このため、その河川の下流の尾張国は雨が降るたびに、河川は反乱します。
そして、その後、新しい干拓地を切り開くことができるようになります。
豊臣兄弟の時代、伊勢湾は大きく後退し、新しい土地がどんどん増えていきました。
ちなみにこの時代、東海地方、今の三重・岐阜・愛知の3地域の農業生産高は、畿内(京都・大阪・奈良・兵庫の一部)の農業生産高を抜いていることが想定されます。
まさに時代の主役は畿内から東海へと移ったともいえるでしょう。
織田氏のお歴々は一攫千金者たち
そんな大干拓時代の尾張国は全国から全国から多くの流民がありました。
中でも近畿での合戦で所領を失った武士や上京して帰国できずに流れてきた入植が多くありました。
その入植者は新興の織田氏と結びついて発展していきます。
そんな織田氏の主な家臣たちは実は素性が怪しい家ばかりです。
池田恒興の池田氏は摂津池田氏の関係者を主張
柴田勝家の柴田氏は越後新発田の関係者を主張
前田利家の前田氏は鉄の大産地美作国の菅氏関係を主張
丹羽長秀の丹羽氏は尾張国斯波氏の家来を主張
など、いくら調べても室町以前の時代背景が見えない家ばかりです。
これは結論を言えば、この大開墾時代に夢を求めて尾張国へたどり着いたと言えるでしょう。
下剋上を制した織田氏の資金力
この時代、全国では戦乱が絶えず、上の物が下の物にとってかわられる下剋上の時代でした。
そんな時代の中、織田氏は信長の祖父の代に当時の大商業港津島の商人から嫁を貰っています。
身分制の時代に、普通では考えられない行為です。
織田氏と言えば、一にも二にも時代を制した大資金力があげられます。
織田氏とは商社だったと言えるでしょう。
貿易港を抑え、商業を抑え、その利潤で人を雇い戦いを行い領地を増やします。
織田氏はやがて兵を雇用する形を作り上げ、24時間365日戦うことができる状態になります。
武田や上杉といったお歴々は、農民を農閑期に合戦に連れていく形から脱却できず、農閑期しか合戦ができませんが、信長は365日、いつでも戦闘を行うことができます。
そんな商社のような家に仕官した豊臣兄弟は貨幣に強いことから出世しました。
もともと、計算高い兄弟は算段も交渉も上手だったでしょう。
秀長は調整能力の高い四兄弟の三番目
秀長は木下家の四兄弟の三番目です。
第一子は長女 とも
第二子は長男 藤吉郎
第三子は次男 秀長
第四子は次女 あさひ
母の仲は伝承では関家の長女であるため、ともは長女の長女で非常に強い女性だったでしょう。
それは同時に二人の弟に生きる知恵を作らせます。
後に人たらしといわれた豊臣兄弟はまさに姉の薫陶と言えるでしょう。
ブラック企業織田家の根本は信長の体力
道路工事の描写で完成間近の道路が崩壊します。
そして担当者が殿から打ち首にあうと嘆きました。
信長の織田家は今でいえばブラック企業でした。
これは織田家が圧倒的なスピードで成長していることを指します。
また、信長は人一倍体力のある人物でした。
春になると朝から川で泳ぎ、昼間は馬に乗り回す。
体力がある分、仕事の量も多く、自分と同じ仕事量を家来にも求めたでしょう。
事前に失敗の芽を摘んでいく秀長の性格
秀長は盗人の過去の傾向を研究して、次の盗人の目的地を丹羽長秀の屋敷と想定します。
秀長はこのように事前に準備を怠らず、物事を成功させるために事前に失敗の芽を摘んでいきます。
兄の秀吉は圧倒的な企画力・構想力で時代を駆け上がっていきます。
一方の秀長は、兄の企画・構想を形にしていくことで兄を支えます。

次回の豊臣兄弟は「願いの鐘」
次代の先駆者に偶然なった信長と、その下で輝く二人の兄弟。
次回の「願いの鐘」では、生涯馬好きだった信長が、人生の危機を馬を使った乾坤一擲の勝負に出て成功させます。楽しみですね。
そして、今年は、豊臣兄弟にちなんだお茶会を開催します。
お茶席の中では、豊臣兄弟の面白いエピソードや裏話を紹介します。
また、追って発表しますので、お楽しみに!