
豊臣兄弟は第二話、願いの鐘でした。
感想を書きます。
焼け野原の村の演出と実際の織田家の領内の話
小一郎は、幼馴染である坂井の娘との結婚を諦めます。
しかし坂井の娘は祝言の日に小一郎の屋敷に逃げ込んできます。
そして、坂井の家に野党が押し寄せ、押し返したと思ったら今度は野武士がやってきます。
そして、人は殺され、村は焼け野原になります。
これは戦乱の世の不合理を演出しています。
しかし、実際には織田領内でこのようなことはなかったと思われます。
なぜなら、織田信長の治める領内に入れば、商人が路傍で寝ても何も盗まれないといわれるぐらい治安が良かったからです。
信長という人は行動力があり、規律を重んじ違反者に容赦がありません。
それは後に京に上洛した際も一銭切と言い、一銭でも盗めば殺されるような規律を要求しました。
それは領内の隅々までいきわたっていたでしょう。
ただし、敵の領内と隣接している地域であれば、こういう形での挑発活動はあったかもしれません。
織田信長による後継者確立戦争

織田信長が岩倉城を攻め落とすシーンがありました。
この点を少し解説します。
信長のこの頃の年表を書きます。
1534年生まれの信長。
1546年 元服 (12歳)
1552年、父信秀死去で家督を継ぐ。(18歳)
1559年に岩倉城の戦い (25歳)
信長は岩倉城に叔父の息子信賢を攻め上げ、降伏を許さずに、落城させます。
これは、信長が父の跡を継ぎ、その後継者としての存在を確立するために、かつての勢力下の岩倉織田家を倒すことが必要不可欠でした。
これで一応、信長は父の跡を確立したと言えるでしょう。
武将は時に峻烈さを宣伝し、敵に威圧や、傘下の諸将に従属を徹底させる行動に出ます。
これは後に秀吉もやっています。
小一郎の決意
小一郎は、この後、侍になろうとします。
そして、家族から送り出されます。
侍大将になれ、大名になれ、将軍になれと言われます。
これはこの地域がいかに将来が明るい印象を持っていたかを表現しています。
圧政に苦しむ地域ではこのような展開は想像がつきません。
領主は身分に縛られず、成長を続ける世界観を持っています。
そして、やがてこの兄弟が日本の津々浦々まで統一するとはまだ誰も思っていません。
日輪の子・日吉丸
藤吉郎と小一郎は母から日輪のようになれと言われました。
藤吉郎は、幼名が日吉丸だったといわれています。
私の推量ですが、秀吉一家は近江から流れてきた、
元は比叡山の守護の日吉大社の関係ではなかったのかと。
末社かもしれないですが、猿と言われたのも日吉大社の神の使いが猿である点もあります。
しかし、これは後に作られた話でもあります。
そして、村を出ていく、二人の背中に日差しが当たりました。
すぐに桶狭間に突入するかと思っていましたが、思い違いで、次回以降の展開のようですね。
信長は国内での戦に勝ち続けますが、これからは国外の大勢力との戦いになります。
豊臣兄弟、次回は決戦前夜です。
次回も楽しみです。