
織田信長が上洛に成功し、三好氏の本拠地摂津芥川城(高坏)に松永弾正が訪ねてきます。
豊臣兄弟10話を解説します。
三好の内部分裂
松永久秀は三好家の旧臣です。
そもそも三好家は織田信長が上洛する前に畿内を支配していました。
しかし、前当主の三好長慶の急逝後、内部分裂を起こします。
三好長慶は主に畿内で活動しており、弟や親族たちは基本は四国にいました。
三好長慶の畿内での協力者グループの筆頭は松永久秀です。
四国の親族衆が大きく括れば三好三人衆となっていきます。
三好家は松永久秀や当主の義継は信長方となり、三好三人衆は四国に退却しました。
三好家の紹介はこちら↓
堺に向かった藤吉郎と小一郎
信長は岐阜に戻りますが、藤吉郎は堺へ向かうように命じられました。
藤吉郎は松永久秀と堺に向かいます。
この時期、日本最大の武器商人今井宗久が登場します。
信長は堺に2万貫の矢銭を要求します。
藤吉郎と小一郎は、その使者を担います。
松永と足利将軍
松永久秀が足利義昭に拝謁します。
松永久秀はその息子の久通が義昭の兄義輝の殺害に関わっています。
久秀は息子に人生をダメにされた人物です。
今回の豊臣兄弟では松永久秀は悪人ではない扱いになるような印象です。
当時、畿内には2万人の傭兵がいたといわれています。
藤吉郎も松永久秀から傭兵について聞かされました。
松永久秀の生涯はこちら↓
https://tadaakifujimaru.com/2020/01/26/post-5539/
三好の反撃の序章は商人たちが知っていた。
藤吉郎は今井宗久に二万貫の矢銭の最後通牒に出向きます。
そして鉄砲300丁の買い上げの相談をしていましたが、返事が芳しくありません。
そして堺の商人たちは裏で三好三人衆と繋がって反織田の動きを行っていました。
この時期、戦の話に一番敏感なのは商人です。
さまざまな武器や防具の納品を担います。
彼らはどちらが勝つのか、物量としては把握しています。
そして、この時、堺の商人から見て、織田よりも三好が優れていたのでしょう。
そして四国に退却していた三好三人衆が京を襲撃します。
本圀寺の変
そして、三好三人衆が京の六条本圀寺を襲います。
本圀寺の変です。
三好氏は摂津で上陸し、大挙して京に向かいます。
隠密裏な動きで、織田方は本圀寺を囲まれるまで気づきませんでした。
本圀寺の守備は明智光秀です。
この時代に珍しく光秀は家臣を調練する人物でした。
三好の軍勢はこの時9000人を超えていたといわれています。
一方の織田方は2000人程だったといわれています。
明智光秀という人
光秀は鉄砲の名人で、使い方も上手であり、轟音と命中の効果を考えて兵隊を動かしたでしょう。
戦いというものは本来は攻める方が圧倒的に有利であり、しかも不意打ちだったので本来は本圀寺は落ちて当然でした。
しかし、光秀が的確な采配を行ったことで、この場を凌ぎます。
そして、畿内の味方の勢力が応援に来ることで逆転します。
信長は本圀寺が襲撃された件を聞いて即、京へ向かいました。
明智光秀の鉄砲の話⇓
https://tadaakifujimaru.com/2020/01/14/post-5523/
浅井家の内部事情
お市は浅井家で当主長政の父、久政から警戒されています。
久政から見ればお市は織田のスパイに見えていました。
しかし、久政は実は長政によって強制的に隠居させられた人物です。
また、長政は織田派、久政は反織田派です。
この浅井家の二つの勢力もまた、これからの情勢に影を落としていきます。
第十二回は小谷城の再開です。
今回は堺が出てきましたね。
堺と日蓮宗の話もこちらで紹介しています☟
https://tadaakifujimaru.com/2020/02/22/post-5611/
いかがでしたでしょうか。
畿内は基本的に統一した勢力が出にくいといわれています。
二つに分かれた勢力の片方と手を結ぶことで畿内進出の足掛かりとなります。
いかがでしたでしょうか。
本圀寺の変の解説でした。