日本では最も古い時期に作られた小学校の一つである太宰府小学校。
1983年生まれの自分の太宰府小学校の思い出を書きます。
太宰府小学校の思い出。
太宰府小学校の忠霊塔
太宰府小学校の忠霊塔は非常に立派な忠霊塔があります。
校庭の正面にあたる場所に存在します。
忠霊塔は裏に鉄の扉がありました。
3回叩くと返事があるといううわさがありました。
私も何度かやっては見ましたが聞こえるはずはありません。
太宰府小学校の忠霊塔で祀られているのは日露戦争・太平洋戦争の戦没者です。
幽霊となって出てくるようなことは考えられない気がします。
歴史のある太宰府小学校の忠霊塔。
太宰府小学校の防空壕跡
太宰府小学校の正門の坂道のところに防空壕跡と呼ばれる場所がありました。
ただ、私の見ていた頃は既に穴という雰囲気は全くありませんでした。
今は、もうその部分もなくなっているようです。
太宰府は大した軍需工場もない地域です。
基本的に空襲などの畏れはなかったでしょう。
一方で、太平洋戦争末期には米軍の無差別射撃も行われていました。
それは終戦前半年ぐらいだったようです。
そのころに掘った可能性はあるかなと思います。
祖母がそのようなことを言っていたように思います。
太宰府小学校の校庭にある小松重盛の墓
小松重盛といえば、平清盛の長男だった人物です。
父よりも早逝したため、あまり歴史では残ってはいません。
しかし、歴史の中に出てくる小松重盛は素晴らしい人物ということになっています。
何故、太宰府小学校の校庭にお墓があるのか。
おそらく、一時期九州に逃れた平家の誰かがここに祀ったのでしょう。
太宰府小学校の忠霊塔の片隅に今もあります。
「マラドーナ」の落書き
1990年当時、ワールドカップに湧き上がっていました。
そして、なぜか学校の隣の竹藪の中に落書きがあった。
そこにはマラドーナと書いてあった。
小学校ではマラドーナが書いたとか、そんな噂があった。
マラドーナは太宰府には来ていません。
その竹藪の中の竹はそこに自生している竹です。
この話は田舎の都市伝説のような感じでした。
新棟の一番奥のトイレの怖い話
小さい頃、私の父が話していた怖い話。
夏休みになる前に、ある女の子が忘れ物をした。
そして忘れ物を取りに行った時に、トイレに寄ったらしい。
そしてそのトイレは鍵が壊れて開かずに、女の子は出れなくなった。
そしていなくなったらしい・・・。
それからずっと後の話。
ある日、女の子が忘れ物をしたらしい。
忘れものを取りに学校に行くと、トイレの方から声が聞こえたらしい・・・。
あとは想像にお任せします・・・。
この話は私の父が小学生の頃の話です。
今の校舎の前の校舎の時の話だったようです。
ちなみに私は1年生の頃、1年4組でした。
授業参観の時、父が、このあたりだったとそのトイレを言っていました。
非常に怖かったのを覚えています。
書いていると思いだすことが多々あります。
また、気が向いた時に続編を書かせていただきます。
太宰府小学校の思い出でした。