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急げ!

プライベート 歴史 西郷どん

不思議な夢をみたので書き残します。

 

舞台は故郷

この日は、この地域で一番大事な日。
ただ、お祭りの日ではない。
でも、大事な日。

村人が全員、気ぜわしく、走り回っている。

私も急いでいる。
私は奈良に住んでいる。
今日はその大事な日のために故郷に戻ってきたのだ。

学校から自分の家までは細い一本道。
学校で「長」から集合の号令がかかるのだ。

集合が意味する物

この集合が意味する物。
それは、男はその瞬間から全員が走り出さなければならないのである。
この瞬間から地域はそれを最優先に動き始める。

一度家に帰り、準備をして再度学校に集合しなければならないのである。
そして、学校に集まった地域の男たちは歓声を上げながらある場所に集合するのである。

私は駆けた

小学校から家までは走って10分程の距離。
小さな一本道。
小さな村の人々は全員が抑揚し、まるで駆けっこをしているかのようだった。

途中、混雑がひどかったので、畑のあぜ道を走った。

ここは山間の村。
斜面の集落は、家々の前に小さな畑があり、小さな辻がいくつもある。

自分の家までもうすぐ。

と、家の手前の家が、改修工事をしていた。
どこかから来た大工の人たちが集合をよそ目に、工事を急いでいた。
ただ、細い一本道に荷物を積んでいるので通れない。

私の家はその先の四つ角の向こう。

とっさに工事中の家を突っ切ろうと思った。

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もう一人の参加者

「こげな日に、道をふさぎよって!」
私は怒鳴りながら工事中の隣家に走りこんだ。

すると、60を過ぎた位の棟梁が真っ赤な顔をして出てきた。

「なんばいいよっか」

私は急いでいるのに妨害されているのである。

「こげな大事な日に道ばふさぎよって」

棟梁は私に言い返してきた。

「今、お茶室をつくりよったい」

棟梁は神聖な物を作っている自分の方が大事なことをしていると言ってきた。

「俺は自分の茶室を持っとる」

そういうと、棟梁は
「すごかー」

と道を開けてくれた。

棟梁が作っていたお茶室はそれはお茶室とは言えなさそうな簡単な作りだった。
二畳の畳に周りはなぜかすべてすりガラス。

すると、その家の息子が出てきた。

「今、滋賀に住んでおります」

私は名刺を出し、良かったら訪ねてきてと声を掛けました。

「藤丸さん すごか名前です」

そういわれたのを覚えています。

その家の中を突っ切って、自分の家に走りこんだ瞬間、夢が覚めました。

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目が覚めて思い出したこと

今考えると、鹿児島の妙円寺参りのような出来事でした。
出陣の報が届くと、男性は全員、出陣の準備をして、合戦の場所まで走る。

これは薩摩の戦国大名島津の家に残る伝統である。
時の当主、島津義弘は、関ケ原の戦いにあたり、国元の兄の義久に大坂へ兵を送ることを頼んだ。
しかし、冷静に外交的な局面を想像した兄は兵を送ることを見送りました。

ただ、この報を聞いた薩摩隼人は一人一人が、大阪へ走り出します。
そんな人間が一人、一人と関ケ原の島津隊に合流するのでした。

島津氏は関ケ原から強靭な退却戦を展開し奈良を経由して鹿児島に帰還します。
その精神を忘れないように、それから毎年、島津義弘公のお墓に集まります。

妙円寺参りには歌があります。

妙円寺参りの歌についてはこちら↓
https://san-nin-syu.hatenablog.com/entry/2021/12/26/060000

歌の歌詞と内容はこちら↓
https://www.city.hioki.kagoshima.jp/documents/5095/myoenjimairi_kashi.pdf

来月は奈良にとっても大事な時間です。
自分の気持ちが高揚しているのか。
来月が楽しみです。

 

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