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奈良市長選挙の総括 奈良市政の背景にあるもの

地域 奈良 歴史
奈良市長選挙の総括 奈良市政の背景にあるもの

2025年の奈良市長選挙。
投開票も終わり、現職の仲川げん奈良市長が再任されました。
私は彼が市長を続けることは反対なのですが、一度、その考えを横において、自分なりに感じたことを書きます。
奈良市長選挙の総括 奈良市政の背景にあるものを考えてみました。

最古と最近が同居する奈良市

奈良市の位置は、かつて平城京が作られ、日本の国家の成り立ちが確立した場所です。
また、平城京以前に今の橿原地域にあった藤原京はすべて取り壊されています。
そして平城京もまた、平安京遷都によって、取り壊されています。
その中で唯一、平城京外京の現在の奈良の旧市街地のみが寺院の御用を司る範囲内で残りました。
なので、奈良の旧市街地は日本最古の町になります。
奈良市はこの奈良の旧市街地を中心に明治時代に設立しました。

明治に成立した奈良市は周辺地域を吸収しながら、巨大化していきます。
特に、人口に劇的に変化があったのは戦後です。
農地解放によって、やすらぎの道よりも西側が地主から小作者に下げ渡されます。
しかし、急に土地を手に入れた小作者の多くは博打で負けて土地を取られたそうです。
そして徐々に開発されながら市街地は西に伸びていきました。

近畿日本鉄道は、戦後に多くの鉄道を吸収合併して大きくなっていきます。
そんな中、東急や阪急などが手掛ける住宅地事業に進出します。
そして、奈良市が合併していった西部の山間地が住宅地として切り開かれていきました。

奈良市西部は時間と共に巨大な住宅街を形成していきます。
奈良に住み、大阪に仕事に行く。
そんな生活スタイルが確立されていきました。

奈良市には日本最古の旧市街地と、歴史的には最近といってよい住宅地が同居しています。

明治以降流れてきた政治の流れ

奈良市は明治維新と共に設置されます。
全国に先駆けて市政を敷いた地域の一つです。
これは想像ですが、奈良奉行所の地元採用の一代限りと言われた官僚がその仕事を引き続きやったのではないかと思います。

ちなみに、ここに一つ押さえておかないといけないポイントがあります。

奈良市と奈良県です。

奈良市と奈良県の設立事情の違い

奈良市は地元組織であり、地域の世話役などが奈良奉行に変わり市政を担うことになりました。
最初の頃の市長は、ならまち界隈の豪商の当主であることが多かったです。

一方で、奈良県は戦後まで奈良県民がサービスの対象ではありましたは、奈良県民のための組織とは厳密には言えなかったでしょう。
奈良県は内務省の出先機関のような形であり、県民・市民の思惑で動かすことができる組織ではありませんでした。
奈良県は内務省の管轄的要素が強く、中央の意向や組織運営方針が降りてくる組織です。
戦前は知事は官選であり、奈良県民が選ぶことができませんでした。

私の印象ですが、この影響があるのか、奈良県庁の職員の方々は行政を執行者としての自負が仕事に反映されているように感じます。
一方で、奈良市はどこか他人任せな、物事に消極的な印象を持っています。

奈良は歴史的には政治の先進地であり、聖徳太子をはじめ、多くの政治家を輩出しています。
また、桃山期には、藤堂高虎・小堀正次など、のちの徳川政権の基盤となる人物も奈良で政治を学んだでしょう。
その奈良の社会に深く根付いている価値観があります。

奈良の社会に深く根付いている価値観、独裁者を好まない奈良の地域性の背景を紹介します。

 

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