
奈良市長選挙について思ったことをつらつらと書き続けます。
明治の職住一致社会と政治
日本の政治が出来上がった頃、つまり明治〜戦後すぐまでの頃。
日本の地域社会は職住一致が基本であり、仕事場が、住む場所でもありました。
今の政治の形は基本的にこの職住一致が根本にあるように思います。
一方で、奈良の現状を見てみると、奈良府民と呼ばれる大阪で仕事をして奈良に住んでいる人が多く存在します。
今の日本の人口比の大部分はこの職住不一致ではないでしょうか。
日本が急激に発展するために必要な労働力は都道府県を跨ぎ集められたと思います。
仕事が確立した人は結婚をして、閑静な住宅街に家族と住みます。
戦後は山々を住宅地として切り拓くことがトレンドだったでしょう。
戦前戦中が作り出したアレルギー
新たに切り開かれた住宅地に引っ越せば、長男は家から解放され、長男の嫁は姑から解放されます。
明治以降、権力の統一を図り、富国強兵と殖産興業に励んできた日本。
この無理な権力の集中が、国家総動員令を代表するように家々に浸透したでしょう。
学園前の顧問とならまちの私
私の会社の今は亡き顧問は、昭和の一桁代の生まれでしたが、その青春を戦争にメチャクチャにされたと言われていました。
そんな顧問は、終戦後、電車に飛び乗って東京に向かい、映画会社のフィルムを売る仕事から始めます。
そしてその映画会社の専務まで上り、故郷の先輩のハンティングにあってハウスメーカーの役員となります。
顧問は、学園前の藤ノ木台に住み、陶芸や俳句を楽しみ、89歳の生涯を終えました。
その顧問は常々、こう語っていました。
近鉄奈良駅界隈の人間関係は摩訶不思議だ。 と。
年商150億円に上る会社を築いた顧問はトプセールスが得意で、なんでもできる人でした。
しかし、この旧市街の人間関係が複雑怪奇に見えたようでした。
一方で、私は九州で最古の町、太宰府市の天満宮参道の商売人の家に生まれました。
ここでは、職住が一致しています。
私は奈良の旧市街地が非常に居心地が良く、20年以上住み続けています。
政治の情報の取得機会
職住の一致地域と不一致地域では、政治情報の取得に違いがでます。
職住一致地域の場合、【商売上の情報】、【商売の組合としての情報】そして【市民としての情報】・【市民の地域組織】として四重取得する形です。
職住不一致地域の場合、【市民としての情報】・【市民の地域組織】としての情報になります。
情報の量が全く違います。
政治情報を介在する市議会議員
旧市街には、市民の声を懸命に拾おうとする議員さんが多くいます。
毎月のように丁寧に顔を出して市政の話を伝えようとする議員のその姿勢は、コアな支持者を作っていきます。
旧市街は食住一致者が比較的多いために、商店に入っていくのは容易ですね。
一方で、住宅地では家に上がらせていただくのはお互いにとってリスクでもあります。
結果、駅に立って朝の挨拶をする、ポスティングをするという形で議会活動が進みます。
市議会議員は39名ですが、その居住場所をみると、人口比に比べて東に偏っているように思います。
結果、事情が伝わってくる地域とそうではない地域にわかれているように思います。
それが奈良の今の政治に大きく関わっているように思います。
もし、市民の地域組織が奈良市政に故意に利用されていたとすれば・・・。
と私の方では勘繰ってしまいます。
奈良に限らず、現代社会の地域政治では、この感覚の違う二つの住民に対していかに自治の協力を求めていくのかが問われているのでしょう。
旧市街と住宅地の職住の話でした。