
奈良市長選挙の総括をつらつらと書いています。
仲川市長の独裁の裏側にある地域性
仲川市長は2009年から実に16年に渡り市役所のトップに居続けています。
戦後の歴代市長の中でも最長期間を誇ります。
一般に、政治家は成人して、組織の中で揉まれて、台頭して政治家という地位を手にいれるでしょう。
これに対して、世襲の政治家はもう少し早めに地位を手に入れていきます。
それに対して仲川市長は社会人キャリアはほとんど存在しません。
企業に2年数ヶ月務めて、あとは母親のNPOの手伝いをやっていたぐらいのキャリアしか存在しません。
そのキャリアで3000人のトップになった背景には、奈良市の特有の事情も存在します。
仲川就任前夜の奈良市政
当時、覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、ポルシエ中川事件なるものがありました。
奈良市職員でありながら、建設会社の役員の顔をもつ中川なる人物がいました。
職員としては8年間休み続ける一方で、建設会社の役員として市役所に出入りしていたそうです。
8年間の給料はほぼ全額支給。
これが毎日放送で取り上げられて、市政への問題意識が広がっていきました。
ちょうどその時、民主党の風が吹いていました。
仲川市長は馬淵事務所に出入りし、次期参議院議員選挙に立候補予定だったそうです。
急遽、奈良市長選挙が行われることになり、挙手した上で、立候補をしたそうです。
時運を掴んだと言えば、そうであり、人生のキャリアをすっ飛ばしたとも言えるでしょう。
仲川就任後の奈良市政
奈良市長に就任後、すぐにキャリア不足が露呈しました。
ガラス張りの公約はほとんどが実行できず、議場ではガムを噛んで注意をされます。
毎日、地域を回っている議員さんから見れば、この背景と所業は許せなかったでしょう。
案の定、議会となん度も揉めました。
その度に、仲川市長は議会に歩み寄ろうとせずに、議会を批判することを行います。
私は仲川市長が市長になる前から知り合いでしたので、議会の話をよく聞いていました。
自分がすることなすことに常に批判してくるのが議会だと言っていました。
また、特定の議員を動物呼ばわりするような悪口も盛んに口から出ていました。
私は途中で彼と人間関係を断ちましたが、その最大の要因は人の悪口を言いすぎることでした。
息をするように人の悪口や欠点を責め立てて悦に浸ります。
ある時、本人が選挙でお世話になった人の経営するホテルの前にパトカーが止まっていました。
その後、私は仲川市長と会食の約束があったので、その席でその話をしたところ、◯◯逮捕! と嬉しそうに言っていました。
品行方正という言葉がありますが、まさにそれが足りないと思っていました。
市長と議会の悪い関係
そんな仲川市長は16年も市政を担っているにもかかわらず、まだ議会とうまくやっていません。
自分が議会とうまくいかなければ、選挙の際に対抗馬をたくさん立てて戦えば良いと思います。
市長側から議会の掌握へと進んでいくべきですね。
しかし、政治のキャリアがない彼はその政治の本質がわからないようです。
何度市長になっても議会との対立は肝心なことができません。
ちなみに奈良県知事の山下真氏は、生駒市長を3期合計10年担っていたと思いますが、その期間に議会を山下派で過半数を取る努力をして取っています。
仲川市政の独裁のアレルギー反応
奈良は独裁者を好まない地域性です。
仲川独裁のアレルギー反応は議会から出ていると言えるでしょう。
地道な地域での政治活動のキャリアがない彼は、大雑把に事業がうまくいけば良いと思っているようです。
市内には市長の運営を是とする人・せざるを得ない人と、反対する人で地域が分断されているように思います。
この行き過ぎた長期政権は議会という場所で阻まれていると言えるでしょう。
そして、その状況は今回の選挙が終わってもかわらないように思います。
もう一つ、ちょっと気になったことがありました。
今年、6月から妙に道路工事が多かったような気がしませんでしたか?
特に夜は工事が多かったように感じました。
いつもだったら年度末に重なる工事がなぜ、選挙前に多くなったのか。
これも一人の市民として疑問に思いました。