能楽や茶道発祥の地奈良。
中世の奈良は日本を代表する文化である能楽と茶道を発祥させています。
その根幹はどこにあったのでしょうか。
そのヒントの一つが興福寺大乗院の奈良を代表する庭園 旧大乗院庭園にあります。
興福寺大乗院庭園に隠された奈良の発祥の文化を紹介します。
興福寺大乗院
興福寺は山階寺を前身とし、藤原家の氏寺として平城遷都の際に建立されました。
興福寺は藤原氏の発展とともに、勢力を大きくしていきます。
都が平安京に移ったのちは、興福寺は奈良を代表する寺院として勢力を伸ばします。
鎌倉時代には南都復興とともに、勢力を巨大化し、鎌倉幕府も守護を奈良に設置できないほどでした。
その姿は【大和守護職】と揶揄されたといわれています。
大乗院門跡尋尊
興福寺大乗院門跡として著名な尋尊。
1430年〜1508年。室町時代後期の僧侶です。
一条兼良を父に持ち、奈良の仏教界をリードします。
応仁の乱で京の都が焼け野原になった際に、文化の衰退を嘆きます。
そして、当時京で著名だった庭師善阿弥に命じて、大乗院に庭園を作らせました。
これが大乗院の庭園になります。
当時の文化的思想幽玄の極地を表現したとも言われる大乗院庭園。
時の将軍足利義政も3度ほど見に訪れたと言われています。
また、完成した際には、藤原家の五摂家の当主が集まり、能の興行を行なったそうです。
善阿弥作庭の大乗院庭園のポイントは朝と夜
大乗院庭園のポイントは東の山から登る旭と月です。
早朝と夜に太陽と月を拝むことがポイントになっています。
なので、元々は西側に建物が建っており、東の池の向こうの山の上から太陽と月が出てきます。
大乗院庭園文化館は奈良市の施設
奈良市は日本ナショナルトラストによる旧大乗院庭園の復興に協力し、南側に大乗院庭園文化館を建設しています。
この大乗院庭園文化館は無料て庭園を見ることができます。
2025年現在は奈良ホテルが奈良市から管理を委託されています。
大乗院とわび茶の関わり

大乗院は実はわび茶と非常に関わりがあると想定されます。
その理由の一つが、わび茶の祖村田珠光の一番弟子とされる古市播磨守澄胤が大乗院の家来だったことです。
古市播磨守澄胤は応仁の乱の時期の奈良の武力の中心人物でもありました。
その勢力は6万石と言われ、侮れない人物だったでしょう。
その古市播磨守澄胤は風流な人でもあり、珠光の教えを受けたと言われています。
また、古市播磨守澄胤は隣汗茶湯というお茶の楽しみ方の創始者でもありました。
唐風呂に入り、身体を清めたのちにお茶を楽しみます。
これは当時人気を博したことで、珠光から苦言を受けてやめたと伝わります。
そんな古市播磨守澄胤は大乗院に出入りをしていたため、大乗院にも茶湯の歴史はあったでしょう。
のちに古田織部が庭園の見えるところに茶室を建てています。
大乗院庭園は奈良を代表する庭園です。
空間の設計、北側の山の置き方、池の形など、歩くとすばらしさを感じることが多いです。
ぜひ、奈良にお越しの際は、足を運んでみてください。
大乗院庭園の詳細はならまち情報サイトへ↓
https://naramachiinfo.jp/spot/tourism/1646.html