
太平洋戦争の敗戦から80年。
毎年、8月15日の敗戦の日に向けて各地で展示会等が行われます。
奈良市生涯学習センターで開催された奈良市戦争展にお伺いしました。
奈良市戦争展は戦争反対の主張が一貫した展示会
奈良市生涯学習センターでは奈良市戦争展が開催されました。
支那事変、太平洋戦争関連の物品などが飾られていました。
こちらの展示は終始戦争反対の主張が一貫しています。
※戦争に関してはさまざまな主張があります。
明治以降の殖産興業・富国強兵の影に見え隠れする戦争遂行の証拠を展示されています。
太平洋戦争の空襲による被害者の数が増加している
私が15年ほど前に調べた際は、奈良の空襲による死者は37名でした。
今回の展示では写真は撮り忘れましたが、60名となっていました。
調査の結果なのか、進捗があったのかわかりませんが、確かに機銃掃射の情報は
15年前に調べた時よりも、充実していました。
太平洋戦争の敗戦から80年ですが、まだまだ戦争の検証は続いていると言えるでしょう。
一番衝撃だったこと
日本は太平洋戦争の末期、空襲が激化していきます。
そしてこの激化の理由は米国大統領フランクリンルーズウェルトの急死による米国政府の方針転換です。
対露融和方針のルーズウェルトの急死により、対露強硬の副大統領トルーマンが大統領に就任します。
トルーマンはロシアの日本本土への侵攻を遅らせようと、日本人に早期に降伏を促します。
その方針転換に合わせて、日本本土での空襲や機銃掃射などが激増していきます。
空襲の記録の一覧が掲示されていたので、こちらで紹介します。
ルーズウェルト大統領の急死が4月12日ですぐにトルーマンが大統領となります。
そして、6月以降、劇的に空襲が増加しています。
やがてマンハッタン計画の責任者グルーヴスに押し切られ、原爆投下まで向かいます。
米国のプロジェクト『マンハッタン計画』の成果を出すという米国政府内の意向
対露融和派のルーズウェルト大統領の急死
副大統領のトルーマンの大統領就任による方針転換
そして、グルーヴスによる原爆投下強行と、トルーマン大統領への事後報告と進んでいきます。
奈良市戦争展はシリーズで紹介させていただきます。