異国情緒溢れる長崎の町。
江戸時代、海外との交易が許された唯一の町長崎。
最近、長崎とご縁が繋がるので、長崎に良く出かけています。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒントを紹介します。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎県の地理
長崎は日本最西端の都道府県です。
九州男(くすお)というミュージシャンの歌詞にこんな歌詞があります。
「日本列島の西の西の西」。
東は陸続きで佐賀県と繋がっています。
そして長崎は島が多く、交通の便はあまりよくありません。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・県庁所在地長崎市の地形
長崎の町は三方を山に囲まれており、残りの一方は海です。
平地の部分はほとんどなく、坂沿いに段々に住宅地が広がっています。
地形から流通などを考えると、限りなく孤立した地域です。
この地域に海という概念が戦国時代に出現します。
そして、長崎の町は江戸期に大発展を遂げます。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎の成り立ちと発展に関わった二人の商人
1980年、肥前大村城城主大村純忠は長崎の地をイエズス会(カソリック系)に寄付します。
イエズス会の貿易港として南蛮と日本を繋ぐ長崎は大発展します。
そこにいつの頃か、等安(とうあん)という人間が流れ着きます。
等安は弁才さわやかで、ポルトガル語も少し理解できたそうです。
発展途上の町ではこの手の人物は必要になります。
1587年、豊臣秀吉は南蛮貿易独占のために伴天連追放令を出します。
長崎では豊臣秀吉へ使者を送ることになり、弁才さわやかな等安が名乗り出ます。
この等安、秀吉にとても気に入られ、長崎は金納による自治の許可を得ます。
等安はその際に、長崎の郊外を土地代を払う代わりに独占できる許可ももらいます。
その後、等安はイエズス会と距離を縮めます。
一方、まちの郊外を取られた長崎の商人たちは等安を憎むようになります。
そこに出てきたのが、末次平蔵です。
末次平蔵はオランダ系の商人と手を組みます。
そして村山等安が家来を大坂の陣で豊臣方に送り込んだことを密告します。
その後、末次平蔵は長崎代官になります。
江戸幕府もやがてポルトガルスペインのイエズス会系を入国禁止にします。
その結果、長崎の町はオランダと中国系商人の独占する日本の唯一の対外貿易港となります。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎の食文化・開港都市と中華街の文化
長崎はその結果、オランダと中国が対日貿易をほぼ独占するようになりました。
中華街やオランダ商人館や出島などは江戸期の長崎の特色です。
また、祇園丸山の花月は日本三大遊里ともいわれたそうですね。
長崎の町は灯篭の灯りが絶えることがないといわれていたそうです。
その貿易港としての役割から、幕末はもっぱら貿易というポイントで活況を呈します。
勝海舟や坂本龍馬を中心に船と貿易の話は尽きることがないですね。
高杉晋作や伊藤博文も幕末に長崎を訪れています。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎県
明治になり、やがて長崎県となります。
それまで長崎が独占していた貿易はやがて横浜や神戸も参入するようになります。
その結果、長崎はどちらかというと大陸との交流の港という要素が強くなります。
かの孫文も最後は長崎から中国へ出港しています。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎と原爆
われわれ日本人が忘れてはいけないのは長崎の原爆です。
様々な議論があります。
しかし、長崎の地に原爆が落ち、多くの死者・負傷者を出したことは事実です。
先に原爆が落ちた広島が注目されがちだと思います。
この歴史を日本人がどう考えていくか。
そこに長崎という被爆した土地があること。
それを日本人は考え続けなければならないと思います。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎に原爆が落とされた理由
米軍が長崎に原爆を落とした理由が一つあります。
それは山あいの町では原爆はどのように作用するのか。
それを調べるという目的があったそうです。
一方の広島は平地ですね。
米軍はこの2つの地形で実験したといわれています。
ちなみに広島は第二候補で第一候補はなんと京都でした。
長崎を歩き学んだ地域活性化のヒント・・・長崎の原爆の被害者の話
私のお世話になった方のご主人が長崎の原爆に遭っています。
その話も少し書きましたのでお時間あれば読んでいただきたいと思います。
長崎と復興の歴史
焼け野原の長崎は立ち上がります。
原爆の投下された町は30年草木も生えないといわれていました。
しかし、見事に長崎の町は原爆から立ち直り今に栄えています。
戦後の日本の頑張りは広島と長崎に代表されるのではないでしょうか。
長崎の町を歩くたびに、その煌々とした活気に歴史を乗り越えた明るさを感じます。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎県の人口
長崎県の人口は136万人(2016年国勢調査結果)です。
全国29位で、47都道府県の平均より少し下です。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎市の人口
長崎市の人口は42.95万人です(2017年 国勢調査)
全国市町村人口ランキングでは39位に位置します。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎県の県内総生産
長崎県の県内総生産は以下の通りです。
2012年長崎県の県内総生産
全国第30位 4兆4034億円
人口も経済力も平均より少し下というところですね。
全国都道府県の県内総生産はこちら
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎県の人口減少
長崎県の人口減少は社会保障人口問題研究所のデータで推計できます。
2015年:137万人 2020年:131万人 2030年:118万人 2040年:104万人
2050年には長崎県の人口は100万人を切りそうですね。
長崎を歩き・学んだ地域活性化のヒント・・・長崎市の人口減少
長崎市の人口減少はどうなっているのでしょうか。
政府による長崎市の人口減少の推移は以下のようになっています。
2020年:41万人 2030年:37万人 2040年:33万人
参照:社会保障・人口問題研究所
長崎では現在、大手造船会社の撤退が決まっているそうです。
今後は観光による地域の更なる発展を模索するでしょう。
今後の長崎の動きに注目です。
以上、長崎を歩き学んだ地域活性化のヒントでした。
長崎に関しては以下でも紹介しています。
長崎観光のおすすめは長崎の町を歩き回ること
長崎の町中には猫スポットがありました