大河ドラマでは終始、住民の味方をする吉之助。
しかし、大河ドラマは歴史を忠実に再現するわけではありません。
せごどんの解説・明治期西郷が関与した奄美への搾取の逸話を紹介します。
せごどんの解説・・薩摩から見ると搾取の対象だった奄美
薩摩藩は奄美大島の島民にサトウキビを生産させ、収税します。
そして本島からの物資を高額で販売していました。
奄美大島から上がる収益は25万両/年にも上ったそうです。
年間収支が辛うじて+12万両程度だった薩摩藩。
そこに年間55万両ほどの借金の利子がついていました。
奄美からいくら搾り上げても足りなかったのですね。
せごどんの解説・・島民を見下していた吉之助
吉之助は正助に奄美のことを書いた消息を出しています。
そこには島民をけとう人(侮蔑を意味)という言葉が書かれています。
また、島の女性は手に入れ墨をしており気持ち悪いと。
終いには、島の人間は物陰から見ているということを書いています。
後に島民と結婚するまでになる吉之助。
此処には青年が島流しにあった鬱積もあるように思います。
せごどんの解説・・吉之助が考えたサトウキビ政策改善案
吉之助は藩の奄美のサトウキビ政策改善案を後に同僚に送っています。
サトウキビ生産の効率を上げるために鉄が必要である。
島民から搾取しすぎている。
本島からの物資はもっと安くしなければならない。
そこには一見、島民の生活向上を図っているようにも思われます。
しかし武士の吉之助は、百姓を‘生かさず殺さず’に統制します。
吉之助から見ると、少し搾取が厳しく見えたのでしょう。
せごどんの解説・・明治以後も搾取する島のままにしたかった旧薩摩藩組織
明治維新になり、薩摩藩は利益を上げていた奄美政策をやめなければならなくなります。
一方で武士はその給料を取り上げられて貧困にあえぎます。
そこで旧薩摩藩組織では奄美からの搾取を続ける方法を考えます。
ここに桂久武という人物が出てきます。
せごどんの解説・・士族授産という地獄が奄美に降りかかる
桂久武は、薩摩藩の島津の一門です。
長兄は藩の筆頭家老、そして赤山靭負も兄にあたります。
この桂は大島商社を明治4年に設立します。
藩の奄美搾取事業を引き継ぐ会社です。
これが藩の時代に一層の輪をかけて搾取を広げます。
せごどんの解説・・大島商社設立を知っていた吉之助
吉之助はその大島商社の設立にあたって桂に助言しています。
桂久武は吉之助が大島に流罪になっている際に吉之助に出会っています。
そして、人生の最後も共にしています。
後に吉之助はこの大島商社の実情を訴える直訴の便宜を図っています。
かつて自分が出した改善の提案と大島商社の実情は違ったのでしょう。
しかし、吉之助の政治的立場は微妙なものになり始めていました。
この大島商社は吉之助が鹿児島に戻ったあとも続いています。
吉之助はその際に、辞めさせようと思えば辞めさせることができたでしょう。
しかし、吉之助の持つ政治的立場がそれをさせませんでした。
せごどんの解説・・自分の階級の待遇が不安だった吉之助
吉之助は明治維新を成し遂げ、強力な中央集権国家を出現させます。
しかし、それは同時に自分の所属する武士階級の崩壊を意味します。
地方組織だった藩の解体が始まります。
それは同時に藩の従業員だった武士の収入がなくなることでした。
薩摩には4万人近い士族がいました。
明治維新を成し遂げた薩摩藩。
薩摩藩はその力を背景になんと廃藩置県に応じませんでした。
そして、かつて廃藩置県を断行した吉之助が政治闘争に敗れて鹿児島へ帰ります。
そして廃藩置県をしなかった旧薩摩藩、鹿児島県庁だけが政府から独立した組織として残ります。
それが最終的に西南戦争の基礎武力組織となっていきました。
鹿児島は西南戦争を経て士族の特権を持つ組織がいなくなります。
吉之助は自分の所属する階級で革命を起こし、自身はその階級と共に逝去しました。
その吉之助からすると、大島商社を解散させることはできなかったでしょう。
これは確たる証拠は私は取っていません。
しかし、一つ思うことがあります。
大島商社は西南の役の西郷の軍資金になっていたでしょう。
西南戦争が終結したその2年後、大島商社は解散しました。
せごどんの解説・・明治期西郷が関与した奄美への搾取の逸話でした。