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内堀と外堀を持った奈良の重要文化財・中家住宅

地域活性局 歴史 視察

今年、最も著名になる内堀・外堀は確実に大河ドラマ「真田丸」の大阪城の場面だと思います。

この、堀を構えるという発想は、実は奈良発なんじゃないかと私は思っています。

ちなみに、奈良時代、奈良には2000の環濠集落があったそうです。

環濠集落とは、外敵の侵入を防ぐために集落の外に堀を作っている集落を言います。

さて、今日は奈良市安堵町を訪ねました。

安堵町とは伝承では、飛鳥と法隆寺を往復していた聖徳太子がここで休憩していたそうです。

それで安心した・安堵した 安堵町という伝承から町名が来ているようです。

人口は約7000名。小さな町ですね。

この村は、人間国宝第一号に選ばれていた富本健吉を輩出しています。

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また、明治以降、堺県に編入された奈良の独立運動を行った今村勤三という方の出身地でもあります。

そしてこの町には、なんと内堀や外堀を持つ、中世の家が今にも存在します。

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重要文化財・中家住宅です。

今回は、私の知人が偶然この家の主と親族だったので色々と案内していただきました。

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宅地は約3500坪。広大な土地を内堀と外堀が囲んでいます。

事前に予約をして、維持協力金を500円支払うことで中を見せていただけます。

この建物の特徴は茅葺の屋根ですね。茅葺の屋根は現在改修中です。

急勾配な茅葺は奈良の伝統的建造物ですね。大和棟と呼ばれています。

私の会社の相談役だった故川﨑鳳嶽先生は自ら西ノ京に大和棟の建物を建てられていました。

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改修中の茅葺を見せていただきました。

客殿は1.5mほど高く作られていました。

ここはちょっと撮影は遠慮しましたが、外の風景もよく見渡せました。

そして3畳のお茶室もありました。

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また、お客様用の今でいうサウナもありました。

なんでも関西ローカル番組ちちんぷいぷいでも紹介されたそうです。

家の中にはお寺もありました。
戦時中は大阪の親戚が住んでいたそうです。

また、使っていない別棟の建物もありました。
なんでも大阪の着物屋さんに貸しているそうです。

「大工は大和」という言葉が江戸時代にはあったそうです。

大工を志す場合には大和の国で修業しなければならなかったそうですね。

ちなみに、宮大工と数寄屋大工という二つの文化的?な大工がいます。

宮大工というのは社寺建築を行う大工さんです。

一方で、数寄屋大工はお茶室などを建築する大工さんになります。

奈良は宮大工が強く、京都は数寄屋大工が強いそうですね。

奈良の宮大工が京都の社寺建築を行い、京都の数寄屋大工が奈良のお茶室を建てる。

ということがあるそうです。

実際に戦後の奈良のお茶室の多くは京都の数寄屋大工らしいですね。

今日は奈良の建築の奥深さを実感することができました。

実は、いつか堀のある家に住みたいと密かに思っています。

なので、イメージがわいて勉強になりました。

 

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