真田丸19話恋路の感想を書きます。
天真爛漫な茶々。
それを追いかける秀吉。
茶々について信繁は忠告を受けました。
忠告主は片桐且元です。
それは豊臣政権に大きく影を落とす話になっていきます。
秀吉は名古屋出身(尾張)です。
彼の親類はほとんど名古屋(尾張)の人間なのですね。
尾張時代、秀吉の家来は200-300人ぐらいだったでしょう。
それに対して、秀吉は初めて信長からお城をもらいます。
それが滋賀県長浜です。そして20万石近い領地を与えられます。
20万石近い領地では5000人は家臣が必要になります。
そこで大量の家臣を募集します。
片桐且元はそこで応募してきた滋賀県出身者です。
そんな近江衆にとって、茶々とは旧主浅井長政の長女なんですね。
秀吉が信長から与えられた長浜界隈は浅井家の領地でした。
秀吉は茶々が最後に亡くなる前にこう言って欲しいと言っていました。
「茶々は日ノ本一幸せなおなごでした」。
真田丸のエンディングでは茶々が登場します。
真田丸のエンディングは大坂夏の陣です。
大坂夏の陣では信繁が戦死した後に茶々(淀君)も死去します。
「茶々は日の本一幸せなおなごでした」。
とはとても言える最後ではありませんでした。
最後にナレーションでこんな言葉が流れました。
「豊臣政権崩壊の始まりでした」。
そうでしょう。
茶々には秀吉が長浜時代に雇用した侍たちの旧主筋の人間。
石田三成や片桐且元・大谷吉継もそれにつぎます。
これを近江衆と言っていいでしょう。
彼らの多くは事務に堪能な官僚肌が多かったです。
それに対して寧々の元には多くの尾張衆がいます。
加藤清正・福島正則などがそれに当たります。
これを尾張衆と言っていいでしょう。
彼らの多くは戦場で汗を流すいわば営業部隊です。
結局はこの近江衆と尾張衆が関ケ原でぶつかります。
他の家臣団もこのどちらかの派閥に参加して戦います。
近江衆には降伏後事務処理で助けられた外様大名の多くが付きます。
島津・毛利・宇喜多・上杉。
尾張衆は数で言えば、近江衆より少し劣ります。
しかし、そこに徳川家康が乗ってしまいます。
家康は尾張衆を味方につけて関ケ原を勝ち抜きます。
そしてそのまま徳川幕府を作ってしまうのでした。
秀吉の魔術的な政略・外交のおかげでできた豊臣政権。
その家来達は経験値等で家康の敵ではありませんでした。
それにしても、三谷監督は演出がうまいですね。
逸話や小話をうまく話しの中に入れてきます。
徳川と真田の縁組の話がありました。
縁組とは、力のある大名同士が縁を結んでお互いの力を高めるために行われます。
そして、家康は当初、本多忠勝の娘をそのまま真田に嫁がせようとします。
それに真田昌幸は激怒したと言われています。
「小さいなりとも自分は大名である」
「大名の嫡男の嫁に大名の家来筋から嫁をもらえるか」
そう怒ったという話が残っています。
家康は仕方なく自分の養女にして真田に嫁がせたそうです。
これをうまく演出しきっていたのが印象的でした。
真田信繁は時代のクライマックスのど真ん中にいます。
彼が戦国安土桃山時代の最後の主人公になっていきます。
次回も楽しみですね。