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甲斐を語る⑧武田信玄のすごいところ5選

山梨

甲斐を語る。➇は武田信玄のすごいところを5つ紹介します。

武田信玄のすごいところ⑴ 小さい国からの大大名となったところ

武田信玄のすごいところで一番なのは、小さい国から大大名になったところです。
二国以上の領地を持つ“ブロック大名”の中で、最も大きな勢力を作った人と言えるでしょう。
甲斐国は石高22~25万石余り。動員兵力は6000人ぐらいが限度でしょう。
その戦力で、最終的には、160万石近い領土を取っています(諸説あり)。
小国から大大名にのし上がったのは、安芸の毛利元就、土佐の長曾我部元親などがいます。
私はこの3人を持って、最も成功した戦国大名ではないかと思っています。

武田信玄のすごいところ⑵ 優秀な家臣たちの“別動隊”

武田信玄は、面倒見が良く、冷静沈着な中にも目の輝きのある人だったように思います。
家臣の成長は、必ず組織の成長の中にあると言えるでしょう。
武田信玄はそういった点から見ると組織を着実に成長させています。
優秀な家臣が戦死した後も、すぐに日替わりヒーローのように別の家臣が台頭します。
中でも優秀だったのは、馬場信春・山県昌景・内藤昌豊・高坂昌信・秋山虎康です。
この5名は、単独部隊として別動隊を任され、そつなくこなします。
これがどれだけすごいことかというと、たとえば徳川家康は別動隊をことごとく失敗させています。
織田信長と豊臣秀吉は成功と失敗を繰り返します。
信長は圧倒的な経済力を背景に戦争を進めるため家臣は有利な条件で合戦を行います。
武田信玄の五人の家臣は、信玄の重要な戦いで別動隊を指揮し、ほぼ任務を満了できています。
中でも晩年の西上作戦の馬場信春・山県昌景・秋山虎康の別動隊は織田徳川連合軍を苦しめました。

また、この5人は信玄が獲得した領土の治政担当でもありました。
馬場信春は南信濃・高坂昌信は北信濃・内藤昌豊は西上野・山県昌景は駿河を担当しました。
信玄の在世中は反乱などの問題も特に起こっていません。

武田信玄は普段から家臣とのコミュニケーションを心がけていたのでしょう。
それがこの重要線における意思疎通を容易にしたのではないでしょうか。

ちなみに信玄は川中島の戦いで弟の典厩信繫を失っています。
それが晩年に影を落としたという人もいます。
私はむしろ晩年のメンバーがベストメンバーなのではないかと思っています。
晩年のベストメンバーが上記の5人だと私は思います。

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武田信玄のすごいところ⑶ 徹底的な事前調査

武田信玄は晩年、西上作戦で徳川家康と激突します。
信玄は、前もって遠江・三河の地理や敵方の特徴を徹底的に調査します。
それを家臣たちに記憶させたそうです。
徳川家康が常に信玄に後れを取った一連の動きはここにポイントがあります。
馬場信春は遠江侵攻にあたり、足りない情報は天竜川の水深ぐらいだったそうです。
武田軍の進軍の速さはここに一つのポイントがあったでしょう。
織田信長がとてもかなわないと思った部分ではないでしょうか。

武田信玄のすごいところ⑷ 機能分化された部隊

武田と言えば騎馬隊が有名です。
ただ、信玄という人の面白さはこれが騎馬隊は一つの部隊に過ぎないことです。
例えば、投石部隊や、工作部隊も持っています。
織田信長の鉄砲隊は有名ですが、それはこの投石部隊からヒントを得たのではないかと私は思います。
信玄の戦い方は、まず相手の弱そうな部隊に投石部隊を出して、徹底的に石を投げます。
敵部隊の50m前ぐらいまで進み、そこから石を投げます。
そして相手が怯んだ時に、すかさず騎馬隊が突撃します。
この方法は各国の大名が手こずり、北条氏康などはこれをとても嫌いました。

ただ、部隊を専門的にする場合、目的に対する達成度は高くなりますが、
目的以外のこと、例えば防御などには弱くなる傾向があるでしょう。
例えば、後に騎馬隊が鉄砲に負けたように、相手にその特徴を捉えられると難しくなります。
そういった点でも信玄は、敵より味方の軍勢が多い条件下で合戦を行うことで課題をクリアしています。

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武田信玄のすごいところ⑸ 一流の民政家だった信玄

信玄の治績としてよく上がるのは信玄堤に代表される治水工事です。
戦国時代はまだ日本には沼地などが多く開墾するほどの力がない時代でした。
甲斐国のような面積が小さな国の場合、治水工事が重要です。
領内の道路も整備しています。
これは軍事的に早い移動も心がけたのでしょう。

また、占領した地域は必ず信玄が自ら政治を行いました。
上杉謙信は占領地域を早々と手放したり謀反や一揆が頻発します。
それを考えると信玄は一度獲得した領土を奪い返されるということはありませんでした。
それは、信玄という人の民政が良く行き届いていた証拠だと思います。

 

ざっと書いてきましたが、武田信玄のすごいところは

小国から大大名になったところ
優秀な家臣たちの“別動隊”
徹底的な事前調査
機能分化された部隊
一流の民政家

の5点だと私は思います。
長くなりましたが、武田信玄のすごいところでした。
武田信玄が好きだ―

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