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甲斐を語る①武田神社 躑躅ヶ崎館へ参拝しました

山梨

山梨県甲府市。
人口19万人の中核都市で山梨県の県庁所在地です。
四方を山に囲まれた山梨県。それも1000m級の山々です。
山梨県は旧甲斐国です。
甲斐の国を歴史上もっとも有名にしたのは武田信玄です。
武田神社は、武田信玄の住居跡に明治期に創建されました。

武田信玄の基礎固めは父信虎が行った

武田信玄は戦国時代随一と評価される武将です。
しかし、実は、その信玄の快進撃の素地を作ったのは父信虎です。
武田氏はもともと、平安期に甲斐国に入植します。
そして600年あまりを石和という地を根拠地にします。
武田信虎は、父や祖父が周辺国の戦乱に巻き込まれる中、自らの権力基盤の確立に努めます。
そして、甲府という町を作り、石和から引っ越します。
甲府の町は、君子南面すという日本が中国から取り入れた都市設計の基本を踏襲しています。
町の最も北側に躑躅ヶ崎館を作り、その周辺に武士の居住空間を作ります。
全国でも先駆けて町を作った武田信虎は、権力基盤を強化できました。

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武田信玄と武田神社

武田信玄が生まれたのは躑躅ヶ崎の北側にある要害山城でした。
父信虎は、当時、駿河の勢力と交戦中でした。
信玄は兄がいましたが、5歳の頃に兄がなくなることで嫡男となります。
甲陽軍鑑などで出てくる信玄の発言は、何となく兄に遠慮する弟の言葉が多いように思います。
そんな信玄は父信虎から疎まれ、弟の信繫に家督を継がせようと考えます。

ただ、有力家臣たちは信玄の器量を見抜き、信虎追放を行いました。
父信虎は、駿河国に追放され、一時は京に住んでいたこともあります。

信玄は、幼少期から躑躅ヶ崎館に住み、多くの武士に囲まれて成人したでしょう。
人とのコミュニケーション能力が非常に高い信玄のヒントはここにあるかもしれません。
ちなみに、当時は領主は領地に住むことが基本でした。
そして戦争になれば、一番強い人に従っていわば盟主と仰いで連盟として戦争に臨みます。
武田氏が室町期からいち早く脱することができたのは、この城下町建設であるでしょう。
甲斐国中の武士が甲府に屋敷を持つことで、より武田家との交流が深まります。
戦争の時も、すぐに集結して出陣できます。

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武田神社のアクセス

武田神社はJR甲府駅から北に一直線に伸びた通りを北に上がった場所に鎮座しています。
能舞台があったり、館跡の石垣なども見ものです。

武田神社のご祭神は武田信玄です。
武田神社は明治期に、山梨県民の手で創建されています。
山梨の方が最も大事にしている神社の一つだと思います。
http://www.takedajinja.or.jp/

武田信玄を祀る武田神社を参拝しました。

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