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甲斐を語る③ 甲府盆地の湖水伝説を伝える穴切神社

山梨 視察

山梨にご縁が続いたので、学んだことをいくつか紹介します。
今回は、甲府盆地の湖水伝説を伝える穴切神社です。

 

甲府盆地の地形を見る

甲府盆地を見渡すと、南側の静岡県側に水が流れています。
データが見つかりませんでしたが、富士川が山梨県下最大の水量を持つのは間違いないでしょう。
さらに山梨県の水の6割以上が富士川に集まっているといっても過言ではないと思います。
甲府盆地の水はほぼすべて富士川に流れていると思われます。

その富士川が南側の狭隘地でせき止められれば、湖を形成します。
調べてみると、確かに盆地が湖水だった伝承がありました。
甲府市内、JR甲府駅の南西に穴切神社があります。

http://www.anagiridaijinja.jp/index.html 穴切神社HP

穴切神社の開削伝承

穴切神社には湖水と開削の伝承が残っています。
和銅年間(708年~715年)に大己貴命(大国主命 開墾の神)に祈願した上で鰍沢口(富士川町)を開削し富士川へ水を落として盆地一帯を水田化する事業を行った伝承です。
これにより、甲府盆地の水は流れ、野が出現したでしょう。
ちなみに、他にもいくつかの説があるようです。

穴切神社の伝承では、神が2神、地蔵が1体で協力して行ったとされています。
和銅年間は奈良の地にてまさに神仏習合の歴史の基礎が確立しようとした時代です。

また、実は大己貴命と盆地の開削の話は他地域にも存在します。
京都西北部の丹波も同じように大己貴命の開墾伝承が残ります。

おそらく鉄の原料を求めた出雲族が開削にかかわったのではないでしょうか。
奈良盆地もまた同じように湖の伝承があり、大神神社には大国主命の伝承が残ります。
淡水の湖には砂鉄が溜まる場所があり、多くは葦の生えている場所と聞いたことがあります。
出雲族はそれを見つけては開削を行っていたかもしれません。

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甲斐国東北部に奈良~戦国時代の旧跡等が残っている理由

行基の大善寺・安田義定の方光寺・武田信玄の恵林寺など、奈良~戦国時代の旧跡が多く残ります。
湖水は開削後に徐々に水は引いていったと思いますが、沼地のように開墾されなかったのではないかと思います。
そして、盆地の東北部の甲州市界隈に行くと、甲府盆地周辺よりも標高が高いです。
地形も坂になっているため、灌漑設備も平野程は手間がかからずに作れます。
まずはこの東北部が開墾されたのではないかと思います。
また、この東北部は三方を山に囲まれており、鉱山物の採掘が行われていました。
後に武田信玄も黒川金山などの鉱山事業を営んでいます。
古来から、東北部が先に開けていったのでしょう。
また、鎌倉幕府以来、より鎌倉に近い地域が力をもったのでしょう。

甲斐を語る③ 甲府盆地の湖水伝説を伝える穴切神社を紹介しました。

 

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