今日も忙しくて、2時間遅れで録画を観ました。
さて、真田丸24話滅亡の感想を書きます。
約20万の豊臣軍と小田原に籠城している約5万の北条軍。
小田原攻めは籠城戦でもあり、そんなに戦闘はなかったでしょう。
なので史実にはなくても多くの外交の駆け引きがあったでしょう。
しかし、高島政伸の氏政役は真に迫っていますね。
板部岡江雪斎も良い雰囲気です。
氏政の考えは家康・伊達政宗との共同戦線による東国統治だったでしょう。
伊達150万石、徳川150万石、北条250万石で、550万石となります。
しかし、この当時、もう秀吉の臣従地域は1000万石を超えています。
その勢力で戦っていたとしても結局は強者秀吉に飲み込まれていたでしょう。
また、徳川の領地を伊達が遠征して守るというようなこともまたなかったしょう。
しかし、伊達政宗の軍事力が関東に南下すると面白かったかもしれません。
最も、伊達政宗は征服したばかりの土地はすぐに反乱を起こすかもしれません。
結局は大は小を兼ねることが社会の宿命です。
より大きい構想がある方がより多くの人を惹き付けます。
北条の構想力は秀吉の構想力に勝てませんでした。
真田丸24話滅亡は北条家の滅亡です。
さて、秀吉は約束を破り、氏政は切腹します。
秀吉はもう国内は制圧したということで信義を破ります。
秀吉や家康に共通する事ですが、史実に残ることを計算していません。
天下統一という事業はその後も永遠に続くように支配者は思っていたでしょう。
しかし、24話において、滅亡するのは北条だけでなく豊臣家の信義でもあるでしょう。
家康も大坂の陣で豊臣家を散々だまして、滅亡させます。
しかし、それは260年経った、幕末以降に徳川家に結局は影響を与えます。
歴史は繰り返されるのと共に、個人の事歴は子孫まで残ってしまいます。
北条氏政と小田原北条氏はこれにて滅びます。
息子の氏直は高野山に登った後にすぐに亡くなります。
しかし、北条家は5男の氏規の子孫が残ります。
大坂河内狭山藩にて明治まで存続し、今に至っています。
板部岡江雪斎はこの後、秀吉に仕えます。
戦後のさまざまな決定は宇都宮で行われました。
宇都宮評定です。
東北は伊達がようやく中央部を征した頃でした。
他は小さな大名ばかりでした。
伊達政宗と片倉小十郎景綱が出てきます。
実は片倉景綱の息子の重長の嫁は信繁の娘です。
これは大阪の陣でのエピソードがあります。
それを待ちましょう。
真田丸も24話目にして、秀吉の統一がほぼ完成しました。
これは同時に信繁の青年期の戦いの終わりを意味します。
何故なら、これ以降関ケ原まで東国には戦争がほぼないからです。
紛争は少し東北で起きました。
これからは豊臣家が滅亡に向うようになっていきます。
真田丸24話滅亡の感想でした。