地域活性局顧問 大辻康夫氏。
奈良県吉野郡川上村高原地区出身。
大辻さんは東京で東映に勤めていました。
大辻さんは歯医者に通っている時期があったそうです。
その時、同じ歯医者で出会ったのが永六輔さんだったそうです。
大辻さんはとてもグルメな人でした。
永六輔さんとは、歯が完治すれば食事に行こうと約束したそうです。
やがて、大辻さんは50歳で東映の常務を退任します。
そして奈良に戻ってきます。
大辻さんは自ら広告会社を立ち上げます。
川上村出身の企業人として石橋殾一さんがいます。
大和ハウスの2代目の社長さんでした。
大辻さんは大和ハウスから仕事を貰う傍ら、石橋さんの事業のサポートをやります。
それが大和ハウスのロイヤルホテル事業の立ち上げでした。
大辻さんは石川県能登地方の志賀町に能登ロイヤルホテルを創業します。
大辻さんはその間も永六輔さんとは定期的にお会いしていたそうです。
永六輔さんの作務衣は大阪北浜の会社が作っています。
(偶然ですが、私の知人がその作務衣のデザインを担当していました。)
よく大阪でもあっていたと言われていました。
大辻さんは能登ロイヤルホテルには毎週通っていたそうです。
金曜日の夕方にスカイラインを飛ばして能登まで出掛ける。
大辻さんはとても体力のある方でした。
能登の話をする大辻さん。
永六輔さんは自分も行きたいと言われていたそうです。
ただ行くだけでは面白くない。
そう大辻さんは考えて、ある提案をします。
「知多半島で日の出を見て、能登半島で日の入りを見よう」。
太平洋の日の出を見て、日本海の日の入りを見る企画です。
飛騨の山の中を突っ切って行ったと言われていました。
大辻さんは『その日の夕焼けは今でも忘れないよ』とよく話してくださいました。
ちょうど30年ぐらい前の話です。
大辻さんの自宅には永六輔さんの葉書が山積みされています。
大辻さんはまめな方で季節には必ず贈り物をされる人でした。
そのお礼はいつも葉書に俳句が書いてありました。
大辻さんは去年9月に亡くなられました。
そして永六輔さんも亡くなれました。
私は亡き顧問からは素敵な人付き合いの形を教えていただきました。
それはお茶の世界とはまた違ったサラリーマン社会のお付き合いだった気がします。
大辻さんはご自宅では永六輔さんと同じ作務衣を着ていました。
会社には大辻さんから戴いた葉書がたくさんあります。
そこには俳句がすらっと書かれています。
人は亡くなったという実感は身近な人間にとってはすぐにこないものですね。
私は何かの度に大辻さんを思い出して悲しくなります。
人が亡くなった分、今生きている自分ががんばらないといけないですね。
画像にできる物が思いつきませんでした。
大辻さんはアクアスキュータムがお好きでした。
なので、クラブチェックの画像を載せておきます。
明日はこの洋服で仕事をしようと思います。