はや、珠光茶会が終わって3日も経ちました。
この間、分刻みのように人に会い、これまで止まっていた仕事を一つずつ、こなしています。
今日、会社に珠光茶会に来てくださった長崎の方からお礼のお手紙をいただきました。
片桐石州流の初心者体験では余韻の楽しみというのを教えていただきましたが、はやばやとお手紙をいただき、余韻を楽しむことができました。
お手紙を下さったのは長崎の方でした。
今回の珠光茶会では私の親戚を始め、実家のお客様などがかなり多く参加くださいました。
中でも、長崎は実は私が茶道事業を思いついた奇蹟の場所と言っても過言ではない場所です。
長崎には平山茶道会館という有限会社が行っている茶道事業が存在します。
流派を問わずに茶道に関連する講座やお茶会などを月に25回も行っている組織で、長崎の文化界は平山茶道会館が中心であると言いきっても過言ではないのかなと思います。
そして、平山茶道会館には全国から著名な講師が講演にいらっしゃいます。珠光茶会のシンポジウムでお呼びしている方のほとんどは平山茶道会館の講師もされています。
地域で茶道事業をやる場合、やはり外から訪れる人に地域のものでおもてなしすることが必要です。
長崎の場合、江戸初期に開発された町としての歴史を始め、日本と外国の玄関口だった時代、龍馬の時代と色々とテーマがあります。
2010年11月22日、平山茶道会館の30周年記念パーティーに参加しました。
次の日は平山茶道会館と近くの大きな邸宅でお茶会でした。その大きな邸宅でのお茶会のことをとても覚えています。
まず、長崎奉行所の門の金具を使った蓋置きが出てきました。歴史好きの私からすると、それだけでぱぁーっと頭の中で長崎が広がります。
そして、これです。孫文の揮毫です。
それも「博愛」。
かれは言うまでもなく中国を代表する指導者ですが、彼は日本がとても好きだったそうで、東アジアが騒乱になるさまを見ながら、長崎を離れる時に、この揮毫を残していったそうです。
「博愛」。素晴らしい言葉ですね。
ちなみに私はサッカーで日本代表が缶などを投げられながらアジアカップを戦っていたのを見ていた世代なので、あまり東アジアという世界には積極的気持ちを持っていません。
しかし、この文字を見ると何か、そんな自分の感情を反省させるような説得力があります。
茶道の良いところは地域を表現することができることです。
そして、表現者はその地にいる陶芸家や野菜農家も脇役として存在し、おもてなしを学んできた人が中心となって行います。地域を活性化させたいという想いと茶道という文化は如何に近く、難しいのかとよく思います。
簡単にはできないことです。
3回で実績だと思われると失敗だと思います。
身を引き締めるべきです。
10回目ぐらいにようやく見えてくることがあるのではないかと思います。
珠光茶会の余韻としてはそんなこともまた思ったりします。