真田丸。信繁は思春期を過ぎて大人になっていく時期ですね。
真田丸の16話の「表裏」のあらすじを考えてみました。
NHKのホームページから予測します。
時間は1586年の1年間の間の話になるようです。
上杉景勝・徳川家康の東海北信越は概ね、秀吉の参加に入ります。
大きな大名が傘下に臣従するのと共に、小大名の帰属も決まっていきます。
小大名としては真田昌幸や木曽義昌などがいわば半独立として残っています。
木曽義昌は平安末期の源平合戦に出てくる木曽義仲の子孫だといわれています。
真田丸の中では、信州の豪族の人質を預かって得意気になるも、昌幸の母に頭が上がらない設定になっていました。
真田が上田合戦で勝利したのと同じように、この時期より少し前に木曽義昌も家康と戦い実は勝利しています。
大河ドラマではこのあたりのことを人にテーマをあてて放送するでしょう。
秀吉と家康が和解することで、木曽義昌や真田昌幸の立場は微妙になります。
秀吉と家康の関係が微妙であった関係で割りを食った感じになったでしょう。
家康は再び、真田の討伐に動くのではないかという風評が信州には響いたでしょう。
それに対して、秀吉は家康との関係上、上杉に真田の支援をしないようにと指示します。
しかし、実際は家康も30000近い全兵力を投入するわけではないので、真田や木曽を滅ぼすのは難しかったでしょう。
この間における昌幸の動きは、その後秀吉から名付けられた表裏比興の者という評価に繋がったでしょう。
今回の題名の表裏はそこからきているのかなと思いました。
結局はその後、秀吉の命令により真田・木曽は徳川の傘下となりました。
真田丸では信繁は秀吉の馬廻りになっています。
実際にはこの時期の信繁には確固たる資料がないのでわからないそうですね。
彼が秀吉の近くにいるという演出をするための設定でしょう。
同時にこの時期、それまで秀吉の馬廻りだった人物たちは出世し人材不足だったでしょう。
加藤清正や福島正則はこの前後にそれなりの領地をもらって秀吉の側近といういわば個人の扱いから
大名といういわば法人に出世しています。
そういう意味では、秀吉は大阪城に送られてきた人質は大事にしています。
なので、馬廻りに近いような身分はあったかもしれないですね。
実際は信繁が大坂城で特に可愛がられた背景には、石田三成の親友の大谷吉継の存在がありました。
真田丸16話 表裏のあらすじを考えてみました。