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真田丸 恋路(第19回)の見どころと背景 

歴史 真田丸

毎週日曜日。20:00からの大河ドラマが見逃せません・・。

今回の真田丸 恋路(第19回)の見どころと背景を探りました。

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まずはタイトルの通り恋路ですね。

対象は信繁と茶々がメインのようですね。

そして、兄の信幸も縁談が入ります。

相手は徳川家康の重臣、本多忠勝の娘、稲(吉田洋)です。

!!!

この時代は政略結婚が凄まじいですね。

家康は自分が認めた相手を味方に付けることに優れています。

そして、信繁と茶々(淀君 竹内結子)にも危い影が来ます。

それはみなさんご存知の通り、秀吉です。

秀吉は天性の女好きなんですね。

そして、この当時、天正15年(1587年)、日本最大の権力者です。

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秀吉は天性の人たらしなので、正室の寧々さん(北政所)にも相談します。

寧々さん(鈴木京香)はどんな心境だったのでしょうか。

秀吉は、他にも多くの女性がいた人物です。

なんと13名の側室がいました。これは認定された側室です。

秀吉のことなので、もっと関係した女性は多かったでしょう。

秀吉は飛び切り明るい性格でぬけぬけと口説いたんでしょう・・・。

茶々(淀君)は信長の娘、お市の方と、北近江の戦国大名浅井長政の長女です。

茶々は三姉妹です。かつてNHK大河ドラマでも登場しました。

見ていませんでしたが、たしか当時は上野樹里さんがヒロインでしたね。

妹は初(京極高次の妻)、江(家康の娘、徳川秀忠の妻)がいました。

美男美女の織田家でももっとも容姿端麗だったと言われるお市の娘です。

秀吉は実は、このお市さんを自分の嫁にしたかったと言われています。

秀吉の好みは名家の娘だったと言われています。

家柄コンプレックスがあったのでしょう。

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そして、秀吉は戦争になるとそれまでタブーとされていた女性を伴っています。

小田原会平定の折には、各大名にも妻子を連れてくるように言います。

秀吉の戦いはなるべく人を殺さない持久戦を取ることが多いです。

なので、滞陣が長くなります。

それで士気が下がらないようにしていたみたいですね。

秀吉の天性の女好きを正当化していたこと。

それは嫡子がいないことです。

つまり後継者ですね。

この当時、どんなに人を従えても、後継者がいないとその人一代限りで滅びます。

なので、後継者というのは非常に大事でした。

天下目前の秀吉には後継者がいません。

甥の秀次という人物が後継者でした。

しかし、女好きの秀吉は自分の子供というのを諦めませんでした。

寧々さんは後継者を生めないという当時の社会におけるハンデを持ってしまっていました。

しかし、聡明な寧々さんは知っていたと言われています。

子だねがないのは秀吉本人の方だと。

この当時、梅毒という性病が蔓延していたと言われています。

梅毒は遊女からうつったといわれています。

そして実は多くの大名がそれにかかっていました。

そんな中でも最も女性が好きな秀吉がかからないわけがないんですね・・・。

確認できるだけでも、鳥取の陣などで遊女を集めたという話が残っています。

そして、秀吉は茶々との間に念願の子供ができます。

が、それはまた次回以降ですね。

秀吉が可笑しくなっていくのもそのあたりからです。

真田丸 恋路(第19回) 楽しみですね。

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