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熊本地震を忘れないために熊本北部を訪ねました。

熊本 視察

熊本県。

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私にとっては非常に大事な青春の1ページの舞台でもある熊本県。

 

菊池市。

懐良親王と菊池武光が築き上げた南朝10年の征西府の歴史。

太宰府の【次郎】という焼き鳥店の大将の出身地でもあります。

菊池川の面白い話をよくしてもらっていました。

電流を流して警察に連れていかれた話などを記憶しています。

福岡育ちの私から言うと別世界の話のようでした。

 

球磨郡湯前町。
祖父の姉が嫁いだ田代家は球磨郡に開拓団に入り、一族は繁栄しました。

湯前町。球磨川の横にある竹藪の中にあった田代家の家。

畏怖するぐらい深い川。

 

そして、熊本菊池郡大津町。
高校時代、足しげく通った陶芸家の家があります。

私の父は文系として社会を語ります。

それに対して、その陶芸家は理系の人として社会を語ります。

大津町。 陶芸家の江藤裕次郎さんは白川のすぐ近くにお住まいです。

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2016年4月14日。

熊本地震が発生しました。

私は4月19日から23日まで出張で福岡にいました。

実家では大津町の陶芸家が個展を開催していました。

福岡でも何度も余震を感じていました。

私の実家のお墓は福岡県南部の柳川にあるのですが、墓石が倒れました。

そして、7月27日。熊本を訪ねました。

柳川にお墓参りをした後に、下道で南関町から熊本に入りました。

和水町・山鹿市を通って菊池市へ。

菊池神社は建武中興十五社のうちの一社です。

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建物は大丈夫か、確認に行きました。

菊池神社は大丈夫でした。

菊池の町は今は衰退もあるように思います。

しかし、九州の覇者を輩出した町です。

この町には地活力があるように思います。

 

そして大津町に入りました。

大津町では窪田阿蘇神社の鳥居が倒れたままでした。

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写真はありませんが、古い家は軒並み建物の上にブルーシートを載せていました。

古い在所の中に見慣れぬ新築のハウスメーカーの家も建っていました。

風景がかわったなと思いました。

 

そして大津町の目的地。

陶芸家、江藤裕次郎さんの家に着きました。

江藤家は熊本でも旧家であり、建物も武張ったというかがっしりした建物です。

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家の中は柱が斜めになっていたり、床の間が壊れていました。

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障子の破れ方がほとんど同じなんですね。

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大きな地震が2度も来て、そして余震にも注意してくださいというニュース。

熊本の人はどうすればいいかわからなかったでしょう。

地震の研究には毎年9000億円も国家予算が使われているそうです。

それを批判するニュースなどもありました。

私は、今回携帯にはいる地震速報は素晴らしいと思いました。

地震は急にくるのと、あらかじめ知っているのでは心の準備が違います。

 

先日、熊本地震の行方不明者の特集がテレビで流れていました。

阿蘇の大学生が車の走行中に地震にあって行方不明でした。

地震で行方不明になる。

その学生さんのご両親は必死に捜索を続けました。

そして、川の隅に学生さんが乗っていた車の残骸がありました。

お母さんの「すぐに言って抱きしめたい」という言葉が心に残りました。

熊本地震の行方不明者はこの大学生が最後のようですね。

最後に、菊池の街を走っているときに、こんな横断幕を見つけました。

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私は熊本がとても好きです。

そして熊本は自力に勝る、力のある地域でもあります。

きっと復興してそれまで以上の熊本を熊本の人が作ってくれると思います。

また訪ねたいと思います。

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